つばき洞生活ノート

つばき洞生活ノート

BBSH(Barbara Brennan School of Healing)卒業生による日々の記録です

青い1

去年の10月、

初めての北アメリカ大陸上陸時に、

5年くらいの間、気に入って身につけていたカイヤナイトの指輪をなくしました。

 

tsubakidoh.hatenablog.com

アメリカ合衆国に入国後、

国内線で滞在先に向かうときの空港でのセキュリティーチェックの時のことです。

 

セキュリティーでは、

上着と靴を脱ぎ、

ベルトも含めた金属製の装身具を外し、

ポケットには何も入れていない状態でチェックを受けなければなりません。

 

初めてのセキュリティーチェックで緊張していた上に、

常に身につけていた(ズボンのポッケに入れていた)ためにすっかり忘れていたお守りが引っかかってそちらに気を取られていました。

 

それは法多山だったか、石上神宮だったかのお守りでした。

 

日本人ならすぐにお守り、と分かるところですが、

アメリカでは無理・・・白い粉を運ぶ袋扱い。

 

セキュリティーの人:「それなんだ?」

 

わし:「チャーム!」

 

セキュリティーの人「中身を見せなさい」

 

わし:「<ジャジャーン!!!>(無言で、しかし誇らしげに袋の中から神社の名前=漢字の書かれた札を出す)」

 

セキュリティーの人:「・・・OK」

 

そのやりとりに気を取られて、

カバンと一緒にトレーに乗せてX線チェック?を受けたリングを身につけるのを忘れてしまいました。

知っていたらあらかじめ手荷物の中に指輪を入れるなどの無くさない工夫はできたのですが、

いかんせん、

海外旅行は15年以上ぶり、

アメリカ大陸初上陸(しかも完全に一人旅)なんで、すっかり混乱してしまいました。

 

そんなに高額なものではありませんでしたし、

色こそ濃ゆい青でしたが石自体には大きな傷もあったのでいいものではなかったのですが、

5年もほぼ毎日身につけていると愛着がわくのです、そもそも気に入って購入したわけですし。

 

その指輪をなくした数時間後、

後々とてもお世話になるスクールの先輩に出会いました。

 

その方のSNSを拝見しているうちに、

「ネパールカイヤナイト」

の存在を知ります。

 

そして、

ネパールカイヤナイトを使っておられる作家さんがいらっしゃることを。

 

そのうちのお一人がこちら↓

https://www.facebook.com/masudajewely/

 

masuda.shop-pro.jp

 

どうやら、

時々京都で作品展をなさっているらしい・・・というので機会を狙っておりました。

 

指輪をなくして1年ほど、

ようやく、その方の作品展に出かけることができました。

 

長くなるので続きは、また。

神楽うたう

だいたい、笙吹きは神楽の時には管を置いて歌を歌います。

 

笙は、

とりあえずすぐに鳴ります。

 

龍笛篳篥とは違ってピッチが安定しています(ちゃんとメンテナンスして、温まって入れば)。

 

管を手にしているときは音程どうとか、って案件に悩むことはありませんが、

それを補償するかのごとく、

うたうことが求められます。

 

基本、

歌って覚える雅楽ですから、

歌えないってのが妙な話なんですけどね。

 

もともと、声が低い私には神楽はなかなか辛いものがあります。

 

浦安の舞より、

地元の神社に伝わるオリジナルの神楽より、

其の駒の方がずっと歌いやすい。

 

女性だと低い部分は1oct.あげてうたうらしいけど、

私はそのままでいけるよ。

 

低さではついていけても、

音程も調整できても、

声量までも男性のそれに勝ることは難しい。

それで随分悩んだけど、

そんなの解決のしようのない問題だよね。

 

(てか、

そこを突いてくる人たちに闇を見たぜ。)

 

そんなんで最近は神楽を歌うのを避けていたけれども、

たまに歌うと楽しい。

 

楽しいのは、

妙な思念からフリーなところから私が歌うことについて評価してもらえるから、

 

そこには余計な気兼ねがいらないからってのもあるね。

 

どんどん、

楽になっていく。

 

この世に(自分が思っていたより)長くいるのも悪くないね。

 

問診票

明日は、Year3年度初めてのセッションです。

 

いつもお付き合いくださる皆さん、ありがとうございます。

 

Year3になって、

レポートに書く内容がぐっと実践寄りになりました。

 

レポートのガイダンスにはクライアントさんに尋ねる質問の例が書かれています。

 

それを読んで、

「これ〜、、、ホメオパシーのセッションで聞くこととダダ被りだな」

と思いました。

 

スピ系のスクールで、

先生ら、めちゃサイキックな人が多いけど、

実際にやっていることはごくごく普通で地に足がついている。

 

トンデモ医療の名高いホメオパシーも、

東洋医学よりも細かく、個別化に特化していると私は感じている。

その個別化のための情報は、

多くの人が各々に感じていても、一般的な医療で拾いきれていないものです。

 

例えば、

 

左側だけに症状が出るのよね〜

 

とか

 

新聞のカサカサいう音さえ気になる!

 

とか

 

泥棒に入られる夢をしょっちゅう見る、

 

とか。

 

(もちろん、

現代医療の素晴らしいところ、

東洋医学の素晴らしいところは沢山あります。

私自身や私の周りの人たちはこの両者に大いに助けてもらいました。)

 

数年前までは、

安易なコラボはとんでもない、と思っていました。

 

BHSならBHS

 

ホメオパシーならホメオパシー

 

別々でやりましょう、と考えていました。

 

Year3のレポート作成にあたってのガイダンスを読んでいると、

「クライアントさんに伝えた健康のためのアドバイスを書きなさい」

という項目がありまして、

そのアドバイスの例の一つに、

ホメオパシーのレメディーの提案、ってのがありました。

 

なんだ、

ホメオパシー的視点を使っていいんだ、

レメディー、使っていいんだ。

 

なんだか拍子抜け。

 

さて、

実際にホメオパシーをBSHセッションに取り入れた場合、ネックになるのは時間。

 

BHSのセッションは90分以内に終わるように定められています。

 

これはクライアントさんと自分にとってとても大切なこと。

 

時間(とお金)のバウンダリーは、

ハーネマンの言うところの治癒の理想の姿=「速やかで、穏やかで、持続的な」治癒に近づくために必要だと、強く思った最近。

 

しかし、

ホメオパシーのセッションは普通、2〜3時間かかりますし、

それを超えることもしばしば。

 

セッションが長時間になれば当然、疲れて来ますし、

よほど話すのが好きな人でなければそんなに何時間も一対一でお話なんてしたくない。

 

「自分の症状のこと=苦しいことばかり何時間も話し続けるなんてなんて、絶対にいや!」

 

と言われたこともありました。

 

問診票をあらかじめ書いてもらうことでそこはクライアントさんへの(当日の)負担を減らせるんじゃないかな〜、

と思案中です。


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エスキース2

10月からはまたバタバタするから、早くも来年の市民展(7月)の準備。

 

応募できる高校生が増えて来たのと、

入賞率がやったら高い教室なので、という理由で生徒が増えたために、

締め切り間際は先生が大忙し。

 

入賞=いい作品

と言えるので、「いい作品を作りたい」というモチベーションだと捉えれば違和感はない。

 

それに、

「賞が欲しいです!」

って公言できるのってわかりやすくていいよ。

 

私は筆が速い方だけれども、

作業を進めることができる時はどんどん進めておくのが良策なのです。

 

今まで毎回、

 

「色が多すぎる」

「暗い」

「ぶっつけで仕上げようとするから思い切ってできない」

 

という話になる。

 

毎回、「色を絞る」と決めて作業に入るのに、

仕上がるまでに何回も「色が多い」という話になる。

同系色の色での明暗を出すことができないから、

彩度で差をつけることで補おうとして「色に逃げる」結果、そうなるのだ。

 

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色が多い作品・・・

小さい作品なので、と気楽に構えて絵の具を置いていくと

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灰色or茶色



先に茶系をやったのでぎこちなさがあるね。

グレー系は少し要領がわかったのでさっさか進めることができました。

 

背景は思い切って白か同系色のもっとも明るい色にするつもり。

 

落下する石みたいに見えて来た。

 

もう1、2段階小さい石を加えて遠近感をぐっと出したら面白い画面になりそう。

・・・現物を見るよりもこうやって媒体を通して自分の作品を見た方がアイデアが浮かぶ

 

版画にする理由の一つもそれ。

 

灰色と茶色って、

グリザイユとカマイユ=基本中の基本な画面やねえ。

 

「ぶっつけだから〜」

の問題に対処するために両方の色でF50を作ることにしました。

 

まずはキャンバスの注文(2倍の出費はなかなか痛いよ)。

鏡の中の鏡

「着手していることが多いのは、

純粋にそれをやりたいからやっているのではなくて、

それをやっている、

お勉強している自分が好きってのもあるからやっている。

何もしていない自分、

勉強していない自分でもいられるようになると、

いま着手していることは淘汰され、必要なものだけが残る。」

 

それやったら、

今やっとることは全部、純粋に自分がやりたいことで自分に必要なことやに。

 

だって、

周りからどう見られるかとか気にしもって何かにエネルギー使うには私は忙しすぎるもん。

 

そんな暇、あらへん。 

 

それに、周囲の目を気にして本当にコアの部分からやりたいこと以外をするなんて大人しないわ。

 

私はとてもわがままなん。

 

それらは全部、繋がるで。

 

それに、

私は繋げることができる。

 

音楽もホメオパシーも絵画もBHSも。

 

「目の前で次々起きることで忙しければ、そんなこと言ってられない」

「食うに困らないからそんなことを考えることができる」

 

私がBBSHで学んでいることについてのそんなコメントも、一理あるわな。

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そこに見えているのは私やろか?

 

幾重にも複雑に重なった鏡の奥にあるあなたの姿とかやない?

 

それの出自を明確にせんで置いとくのは気持ちわるない?

 

私は気持ちわるいわー。