つばき洞生活ノート

つばき洞生活ノート

BBSH(Barbara Brennan School of Healing)卒業生による日々の記録です

物質と非物質の間

久しぶりに名古屋で展示を拝見してきました。


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シルクスクリーンの作品たち。

 

抽象画です。

 

「抽象画は苦手」

とおっしゃる方、大丈夫です。

 

私もかつては抽象画が苦手でしたが、

この方の作品はスッと入ってきました。

 

グイグイ押してくる感じがなくて、

その距離感が心地いいです。

 

作品の一群は、

エネルギーが非物質な状態から物質化する過程を見るようで楽しかったです。

かなりの作品数ですが、

大きな作品は額に入っていない分、圧迫感がないのでラクに見ることができました。

ご本人は「額に入れた方が収まりが良かったかな〜」

とおっしゃっていましたが。

 

好きな作家さんなので作品も持ってる、ていうかこれ↓はもらったんだった。

額装は自分。

セッションルームに飾ったりしています。

tsubakidoh.hatenablog.com

 

今日が初日で、会期はこの日曜日まで。

 

ギャラリーの情報はこちら↓

artnews.jp

 

場所は名古屋の伏見のど真ん中です。

地下鉄の駅からすぐで、

横浜銀行のビルの地下一階。

 

いいですよ、

とても楽しい。

早くもお引越し3回目

今年の6月に水耕栽培を始めたアボカド。

 

camparimikan.hatenadiary.jp

camparimikan.hatenadiary.jp

 

予想以上のスピードで大きくなっています。

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冬でもやたら暖かい職場で育てています。

 

1週間ほど見ない間にまたグッと大きくなってる。

 

ぼちぼち鉢とのバランスが悪くなって来たので植え替え。

あまり小さい鉢だと水切れの心配もありますしねー。

 

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鉢底ネットが完全に根っこに取り込まれている。

今までの鉢から出すとこんなにも根っこが巻いていました。

 

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全景。


 そして、植え替え完了。
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 水を欲しがるようなので保水性の高い土を使いました。

鉢底ネットは取り外すのを断念。

大きな根を傷つけそうだったから。

 

これでまた大きくなるね。

 

いまじゃない

BBSHJに所属していた7年前、

ギャラリーをやっていた親戚の知り合い、というチャネラーの卵さんに「守護霊様のメッセージ」をチャネってもらったことがあります。

 

そのチャネラー卵さんの年の頃は私と同じくらいで、

この業界には珍しく男性でした。

 

半信半疑からくる失礼なコメントにも丁寧に答えてもらったな〜。

 

こちらの悩んでいるところとして、

「音楽(京地歌雅楽)、絵画、ホメオパシーをやっていて、どれもそれだけで成り立たない。

その上にエネルギーヒーリング(BBSH)が加わって、

私はどれを選んだらいいのかわからない。」

と伝えた。
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すると、

 

「今は決める時ではない」

 

と。

 

・・・くう・・・そう来たか。

 

で、

未だに選べていない。

 

 

真に音楽を作るもの

合奏の時、

笙はずーっと和音を吹いています。

 

しかし、

一つの和音(合竹と言います)から別の和音に変わる時に、

同時に全ての指が動くのではありません。

 

前後の和音によって指はバラバラに動きます。

 

そうすることで他の管のフレーズの切れ目で笙の手移りが聞こえて来て、

次の音のための音程を示し、

メリハリのタイミングで拍子を決めることができるのです。

 

自分は笙吹きでもあるから、

笙の役割としてのこうした「一般論」は知っていました。

 

そして現実はまた違う、ということも。

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鳳凰の落としていった羽根のような雲

笙だけを吹いている時に、

三管(笙、篳篥龍笛)合奏でどうしても笙だけが置いてけぼりな感じが拭えないから、

とりあえず主旋律の篳篥の気持ちを知るために篳篥を吹き始めました。

 

そうすると今度は、

笙の音が気になって仕方なくなりました。

 

現実には自分の脳内で流れる笙とは全く異なる笙もある訳で・・・。

 

「そういう時は笙を聞かないで自分が好きなように吹けばいい」

 

と言われました。

 

でも、

元来が笙吹きなのでどうしても聞こえて来ちゃう。

 

結果、

常に不完全燃焼。

 

「?」マークが飛びまくり。

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今日は、

初めましての笙の方と篳篥本番でした。

 

今日の龍笛さんとは度々合奏の機会があって存じ上げていて、

その龍笛さんといつも一緒に吹いておられる笙の方。

 

本番の前にちょろっと「五常楽急」を一緒に吹いたら・・・

 

なにこれ・・・

 

楽しすぎるやん・・・

 

車で吹いて最初の2行はお互いにそろそろを吹いていました。

慣れて来た3行目あたりから楽しくなって、

あー

もう、ずっと吹いていたい。

 

本番に車で3巡くらい吹いた「越天楽」も楽しくて楽しくて。

 

「笙の流れに乗っかって吹いていればいいんだ〜」

 

っていう安心感。

 

篳篥が主旋律、と言われるけれども、

曲を作るのは笙だ。

 

篳篥は笙の作る構造をたどるだけでいい。

 

「次に必要な音をくれる」

「拍子を作る」

 

笙のポジションはそういうレベルで語れる役割を担っていない。

もっとハイレベルなものを負っている。

 

いつものリードで吹いていたのに、

「今日はよく鳴っていた」

と、今日の龍笛さん。

 

そう、

変なところで息をためなくても良かった分、吹き込めたのだと思う。

 

十分な間を取ることができないのは、

練習不足と肺活量への不安からかと思っていましたが、

笙に任せて吹けた今日はしっかり間を取ることができたし、

その上に息も十分にありました。

 

いかに、笙が大事なのか痛感しました・・・ああ、楽しかった!!