つばき洞生活ノート

つばき洞生活ノート

BBSH(Barbara Brennan School of Healing)卒業生による日々の記録です

売却問題その後のはなし

こちらの記事の続きです。 

tsubakidoh.hatenablog.com

 

スクールから正式な発表はありませんが、

どうやら買い手がついたもようです。

 

BBSHの卒業生の方ということです。

 

ただ買い取っただけではなく、

スクールをさらに進化させるための動きもあるようです。

 

ヒーリングスクールといいながらも、

その授業の多くは心理的かつ魂的な学びに時間を割きます。

 

 

ここを通り抜けるのは毎回、とてもつらいです。

でも、

そのつらさは光に至るための過程であることは、

スクーリングの回を重ねるごとに確信をもって断言できることです。

 

見ないでいようとすればそれもなんとか出来なくはないことです。

 

それでもやらずにはいられないのは、

私の魂の欲求が動機を裏付けているからなのだと思います。

 

今年度のスクーリングはあと2回。

 

新年度は10月に始まります。

 

来年度の開催地は、昨年度と同じ、ジャクソンビルのマリオットです。

マリオットは日本の窓口があるので、ホテルの予約は日本語でできます。

 

英語はあまり得意ではない、でもBBSHに行きたい、と思っているあなた、

今からでも遅くはありません。

大学受験用の文法問題集で十分ですから、

少しでも英語に触れていてください。

ひょっとしたら、

地元で外国人の方との交流会があるかもしれません。

そこに行って見てください。

ツールとしての英語に慣れてください。

流暢に話す必要はありません。

「自分はここにいたいのだ」

そういう思いでコンタクトをとることがBBSHでは一番大切なのです。

 

大学受験用の参考書で何をどうやって使って良いかわからないときはメッセージをください。

 

実は英語で家庭教師をやっていた経験から、

問題集の選び方と進め方のポイントをお伝えできますから。

 

日本の大学受験用の英語参考書はとっても使えるんですよ。

楽器持ち出し計画-2

 

My楽器=三味線の海外持ち出しにあっさり成功したのが去年の12月。

そのときのことはこちらに↓

camparimikan.hatenadiary.jp

 


調子に乗って、今度は笙を持って行ってみようと画策中です。

 

次のスクーリングは学生全員がなんらかの発表をしなければなりません。

観客の前でのパフォーマンスか作品の展示のかたちで。

 

昨年度は白衣と浅葱の袴に雑色衣装のうえに烏帽子をかぶって篳篥を吹きました。

 

これ一本しかない笙を海外に持っていくのは正直不安ですが、

私ができる楽器のなかで一番、今年の学年のテーマに近い音色なのが笙なので、チャレンジすることに。

 

もちろん、機内持ち込み手荷物として持っていくので、

まずは笙のケースごと収まるカバンを探すところからスタート。

 

笙のケースは長さが53センチ。

機内持ち込み手荷物の長手上限は55センチ。

これが入るカバンはきっと制限を超えてしまう、きっとアメリカン航空のおばちゃんに、

 

「まだーむ」

 

って言って足止めされちゃう・・・海外の航空会社で国内線は荷物制限に厳しいような気がします。


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 この状態で持っていってもいいのだけれども、

荷物はなるべくまとめたい。

 

で、「これならいけそう」と買ってみたのがこちら↓

 

https://www.amazon.co.jp/Coleman-コールマン-ボストンバッグ-3ウェイボストンMD/dp/B019IFV0C4

 

大きさ制限を超えているけれども、

布製なので中身をぱんぱんに入れないようにして、

「えいや!」

と遊び部分を縮めて持ち込むつもり・・・この厚かましさは数回のアメリカ入りで身についたよ。

 

届いたカバンに笙ケースを入れて見ると、

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無事、収納。

よしよし。

この感じならアメリカン航空のおばちゃんも突破できそう。

ちがい

ありがたいことに、

 

「BBSHで学ぶスキルを体験したい!」

 

と言ってくださる方がぐっと増えました。

 

加えて、リピーターさんも。

 

こちらからお願いする前に、

 

「次はいつに?」

とおっしゃってくださったり、

 

お声がけした時に、

「楽しみにしていました。」

 

と言ってくださったり。

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近所の桜の名所の1週間前。

 

私は、ホメオパシースクールの卒業要件だった5人✖︎3回セッションを満たすのに卒業後2年かかりました。

でも、

BHSセッションだとあっという間に予定が埋まって行きます。

 

この違いはなんだろ・・・。

 

2年前にホメオパスとして癒しフェア的なもの、

しかも公の機関主催のに参加した時にも、

純粋にブースに来てくださる方は少なくて、

同業者の訪問の方が多かったっけ。

 

当時の自分を振り返ってみると、

ホメオパシーのマテリアメディカを読むのは好きだったけれども、

セッションでのインタビューをどう深めていいかわからなかった。

 もっと言えば、セッションをするのが苦しかった。

 

ヒーリングをする時、

もちろん、わからないことばかりではあるけれども、

純粋に楽しい!と思ってやっています。

ケースを重ねるほどに自分のなかでの雛形ができてくるので、

クライアントさんへのフィードバックもいろいろできる様になってくるし、

自分への信頼も増えて来ます。

 

ホメオパシーもヒーリングもまだまだ駆け出し、という点では同じ。

むしろ、一応、スクールを卒業したホメオパシーの方がアドバンテージがあるはず。

 

それでもヒーリングの方に人が来てくださるのは、

純粋にセッションを楽しんでいる部分の比率がヒーリングの方が高いからかもしれません。

 

 

先日の神前奏楽は初めましての方との合奏。

有名な方ではあるので、こちらは存じ上げていましたし、

こういう機会があるとは夢にも思わず。

 

箏曲地歌だと、

10分前に初めて顔を合わせた相手とリハ演奏&30分後の本番演奏するってことはまずない・・・雅楽でも滅多にないように思うが、その方の中ではアリなスケジュールだったのだろう。

こちらもそれでやってやらんことはないし、やったし。

 

頑固な性分のくせになんとなーく合わせるのは得意なので疲れるんだな、きっとそうだ。
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箏曲地歌だと曲を作ったのは400〜200年くらい前の人たちだし、

筝は楽器自体はもっと古くて、

もういつにできたのかもわからないくらいの昔にできた。

三絃の場合は歴史が浅いけれども、やはり成立については諸説ある。

 

雅楽に至っては作曲したのが誰かわからないくらい古い曲も多いし、

わかっていたとして源博雅とかなので平安時代だよ。

ああ、よく演奏される浦安の舞はかなり最近の成立ね。


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 いずれにしても、演奏しているのは今、ここの私たち。

 

古い楽器だからやっているつもりはないな。

 

新旧の軸ではなくて、

好き嫌いの軸の方が強力に私に作用する。



 

 

選択肢は無限

私が絵画教室に行く時間は色々な年代の生徒がいます。

 

下は小学校2年生から、

上は55歳くらい。

教室全体ではもっと幅が広がって最高齢は80歳だね。

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いつも奏楽でお邪魔している神社の名物桜。 八重桜のような姿で花弁がソメイヨシノより大きく、色も濃い。

 

さいきん、耳にして驚いたのが、

公立小学校での英語の義務化。

 

それに伴って、英語の塾に行き始めるのだ、という子の多いこと。

 

確かに、

小さいうちからやっておかなければ身につきにくいことは確かにあります。

しかし、

それに英語は含まれない、と私は思う。

 

英語を母国語とするひとたちは誰もね、

日本人が自分たちと同じように話すことを期待していないの。

 

それよりも、

日本人、というか、

その人がどういう考えを持っていて、

そのベースにはどういう文化背景があって、

独自の文化として彼らが知っているものをどれくらい説明できるか、ときには実演できるかってことなのね。

 

そこに表出するのは文化面での交流かもしれないけれども、

それをまとって海外に出た時、

一番心強いのはその日本人ほんにんなんだよ。

黄色人種への差別云々は確かにあると思うけれども、

じぶんのアイデンテティーが確固たるものであるとき、

「差別」って観念がふっとぶから。

 

差別する、されるを超えるの。

 

私は、「日本の伝統文化が好きだから」というスタンスで箏曲地歌雅楽に着手した覚えはない。

お茶とかお花とかも、

幸い身内がやっていた、とか道具があるから、という接点しかないし。

 

ただ、

この風土で培われた文化なら、ここに住んでいるうちに体験した方がちゃんとわかるよね、と思って始めて、

面白い、と思ったから箏曲地歌雅楽は今でも続いている。

 

日本のフィールドのなかで、

日本の持つ聖なるテンプレートを通して創造されたものを体験するのが、ここに住んでいる者の特権だ、くらいに思っていました・・・「日本」の定義はさておき。

 

母国語以外の言語はツールに過ぎないんだよ。

 

それを使う方の「あり様」のほうが、

外国人とコミュニケーションをとるときに差をつけると思うの。

 

リスニング試験さえ必要とされなかった中学、高校生時代だったし、

大学も英語とは無縁の学部学科。

それでも今のスクールの同級生や先生と無理やりながらもコミュニケーションをとっているのは、

大学受験時代の英文法のトレーニングと、

知らないうちに身についていたアイデンテティーのおかげだと思う。

 

少なくとも、

私は「日本を愛しているよ」と、堂々と外国人の知人に言えるから。