つばき洞生活ノート

つばき洞生活ノート

BBSH(Barbara Brennan School of Healing)卒業生による日々の記録です

変わるから?変えるから?

深刻な病にかかり余命宣告まで受けた人が、

 

「ほんじゃあ、死ぬまでの間にやりたかったこと全部やっちゃお!」

 

と、

今迄がまんしてきたことをすべて解禁したら病気が消えた、とか、

 

人によっては、

信仰心を持つようになったら健康を取り戻した、とか耳にすることがあります。

 

どちらにしても、

病気になるまでのやり方、パターンをがらっと変えたことによって、

そのパターンに固執していたことで仲良しになってしまっていた病気と縁が切れたからなのでしょう。

 

パターン、思い込みを生み出すのはMIND=精神の反応。

 

ホメオパシーは精神の状態に重きを置く、と仰るかたがあります。

 

確かに、

現在のメジャーな医療分野における精神症状の取り扱いにくらべればずっと重く取り扱います。

 

ホメオパシーで精神症状を重く取り扱う、というより、

健康になるなら、

主訴も、精神も含むその他症状も全部一緒に良くなるというのが考え方。

 

ホメオパシーを知って10年近く、

スクールまで修了した今では自分にとってこれは普通のことなのですが、

存外と、この「良くなる時は全体でよくなる」という発想は見逃されがちなのではないかな、と思います。

 

治癒は主訴のある臓器器官だけではなく全体的に改善(良い方向に変化)している状態。

もしそうでなければそれは寛解にすぎない。

 

これはアトピーとの付き合いで感じたことです。

 

「これ、治ってないな」

 

と感じたのは当時(今でも?)有名だったT病院から帰って来たあとです。

 

皮膚の症状は見違えるように改善し、

普通の日常生活が送れるようになりました。

 

でも、

自分の一部が

「これは治ったのではない」

と言うのです。

 

なんか、

よくわからないけど、

イライラする。

 

極端に走り過ぎて体調を崩す。

 

精神状態の他にヒステリー球(今はそれだったとわかるけど当時は知らず)、

だるさ、

鼓腸(学校にいるときだけ)。

 

それらは治っていなかったから。

 

上っ面だけの変化であって、

それはほんの僅かな分量の動き。

 

変わっていないのと同じだ。

でも、周りは良くなった治ったと言っている。

私もまあそこそこ以前よりかは快適に暮らせている。

 

まあ、こんなもんなのかな?

 

こんなもんでいいの?

 

人間ってそういう、

なんか上っ面のもので一喜一憂しながら、

なんとなく「何か」に気づくことを避けて、

ごまかしながら生きていくものなのか?

 

気づかない方がいいのかな?

気づかないふりをしていた方が楽だと思う。

 

でも気づかないままだと嘘くさいまま終わりそうだな。

 

「何か」に気づく方法をその時は知らず、

ただその存在を感じていただけでした。

 

そんな高校時代から20年近く経ち、

なんとなくその「何か」に近づく手段が示されて来て、

 

面倒だし、いやだな、と思いつつも、

知らないまま終わるという選択はどうしてもできませんでした。

 

「何か」を心底から知ることは、

自分のそれまでの思い込みやパターンを分子レベルで変えることだし、変わることなのかもしれないと

うっすら思います。