スピリチュアル
という言葉はもうはやしっかり定着している感じがあるけれども、
その意味の捉え方にはものすごく幅があるように思います。
オバケ
オーラ
ガイド
天使
神さま
ハイヤーセルフ
「スピリチュアル」の周辺を取り巻く単語たち。
ちょっと不思議で、
なんだか美しそうな世界(オバケは微妙か)。
5年前に入ったヒーリングスクールは、
本校はアメリカ合衆国で設立されて40年ほどの歴史を持っています。
入り口では
「フィールド(オーラのこと)を見てみましょう、見てみたいですよね!」
「相手の身体に触れてリーディングをしてみましょう!」
「エネルギーの流れを実際に感じてみましょう!」
と、
日常生活からは相当にかけ離れた話をしていました。
しかし、
そこから先に一歩すすむと、
徹底的に「自分」を見つめることを要求されます。
人間は何者かとの関係性において自分はどういうものかを探求する存在です。
その「何者か」には、
自分
他者
神
があてはまり、
「他者」のなかには勿論、パートナー、両親、子供を筆頭に家族親族が含まれます。
一般的に最も個人のよりどころとするそうした存在をも、
時には客観的に見つめる場面があって、
そのときは本当に孤独です。
発狂しそうなほどに。
でもその過程を助けてくれるのがガイドと言われる自分の魂・スピリットを通じて関係のある存在たち。
そういった存在の助けを得て、
なにがしかをくぐり抜けて、
また現世における関係性に戻っていく。
一通りくぐり抜けて元の関係性に立ち返った時、
以前よりもその関係性をより創造的なものにし得る。
その繰り返しを通じて人間を全うする。
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1年だけの在学期間と、
昨年から1年かけて受講したパスワークの講義によって
自分のなかでの「スピリチュアル」の意味合いが大きく変わりました。
実を言うと、5年前にそんなスピ系の学校にいっていた割には、
「ガイド」
「オーラ」
「ハイヤーセルフ」
といった用語が大嫌いでした。
なんか現実逃避な感じがしてね。
だから、
クラシカルホメオパシーのスクールに入って勉強をはじめたときに、
身体症状も精神症状と同等に扱っている=人間っぽい、と思ったものです。
ホメオパシーが精神症状を重んじる、というよりかは、
現行の各種医療が身体症状に比べて精神症状を軽く扱いすぎているだけ。
最近、
「治癒の妨げになるもの:アルコール、ドラッグ、そしてにせもののスピリチュアル。」
ってのがあった。
「にせもの?」
なにがにせもので、なにがほんものなのだろう。
スピリチュアルににせもの、ほんものがあるのか・・・。
あくまでも過程ではないのか・・・。
これはほんもの!
これはにせもの!
と、断じてしまうことの恐ろしさ、危険さ。
もしそういうヒトがクライアントとして目の前にあれば、
ホメオパスとしてその状態を「症状」としてとればいいのではないか?
偏見なき観察者こそ、ホメオパスの目指すところではないのか?
どれを切り口にしても行き着くところは「人間」。
そういう感覚がどっしりしているからホメオパシーは意外と現実的なんだよね、と思う次第です。