作詞:不詳
作曲:津山検校、筝手付・河原崎検校
調絃:三絃本調子→三下り、筝低平調子→六を半音上下
君が代は、尽きじとぞ思う神風や、御裳濯川の澄まぬ限りは。
されば神代の初めにて、末久方の懇の路、
今も絶えせじ古は、未だ天地分かずして、
雌雄の形も分かたねば、ただ鳥の子の如くにて、くぐもり萌し含むなる、
澄みて清きは天隣、重く濁るは地となる、
二つの神の現れて、御床の目合ありし時、
(合いの手)
天照神のこの国に、降りまします皇の末絶えぬ世ぞ畏けれ、
天照神のその昔、岩戸に籠り給いしに、
数多の神の嘆きつつ岩戸の前に舞歌い、神楽を奏し給いける。
(手事)
神はその時面白やと、岩戸を開き給うより、
月日の影も明らかに、峰高き春日の山に出る日の、
曇る時なく照らすべらなりと、詠みしも更に理や、宝祚は幾代、
なおも尽きせじ。
曲名の読み方は「やまとぶみ」。
「倭文」とも書くようです。
”君が代は尽きじとぞ思う神風や御裳濯川の澄まむ限りは”
三絃が本調子からの三下りで筝は低調子という、
難しいめのお決まりコース。
長くはないけれども弾きごたえ、歌いごたえのある作品です。
手事の後に「散し」部分がなく、
手事最終部分から速度をあげて後歌を駆け抜ける感じがします。
神さまものらしい格調の高さと、
三下り×低調子ならではの勢いの良さが絶妙で、
古曲好きにはたまらない一曲です。
筝の手事部分では七+九、六+八の掛け押しが多く、
歌は手と半音違いでフレーズの最初をとる必要がある箇所がしばしばみられますので、
三絃でしっかり歌をおぼえてから筝に取り掛かった方がいいようです。
合奏の妙を感じられるのは手事の冒頭で、
手が少ない分、
相手の間合いを感じながらの進行を求められます。