ホメオパシーを確立したサミュエル・ハーネマンが医師に求めたものの一つに、
「偏見なき観察者の視点」
があります。
人間自体が「偏り」あってこその存在だと思うので、
この境地に達することは困難ですが、
そこを意図して目指す姿勢を保つことには十分な意義があるかと思います。
明暗
高い低い
そういうのを常に考えている絵画制作は人間らしい営為なんじゃないかな。
久しぶりの先生(絵画)のギャラリーの企画展に仕事の後出かけました。
描く対象を超えてコンセプトが伝わってくる作品ばかりでただただ、圧倒されました。
時間も終わりの方だったので先生と二人になったのでお話しする時間ができましたよ。
展示の内容から自分たちの周囲で今起きていることなんかも。
私は数年前までかなり集中的に家庭教師の仕事をしていました。
短期長期も含めて指導生徒数は3年で20人くらい。
その合間に筝のクラブ指導とグループ指導で20人くらいを数年間。
教師を心底嫌いながらもなぜか教える仕事をしているという、
わかりやすいポラリティー。
そういう背景からか、先生の目下の懸案について話す状況になりまして・・・
私の意見は先生のそれとは全く正反対、あるいは異質らしいのです。
だから、
意見を聞きたい、と。
うーん、、
そういう先生のキャパの大きさに私は感服するな。
私はとても心が狭い自覚があるので、
自分の意見と異質なもの、とりわけ反対意見を耳にするとしばしば感情反応しちゃう。
これだと大事な情報もインプット量が半減するよね〜。
だから、
偏見なき観察者の視点には憧れるんだ。