こちらの「おまけ編」です。
「理由、と銘打っているからにはこっちの方が重要やろ!」
と自らを突っ込んでおりますが、
白綿シーツにしろ、
今治のタオルにしろ、
私の感覚でもって選んだものです。
根拠は無いに等しいです。
観察と実験に基づいた結果のなかから私の感覚をもって選んだ物なのですよー。
さて、件の理由。
私の父は物質的な世界しか信じていません。
少なくとも発言からはそのように伺えます。
信仰心も希薄です。
仏壇はともかく、
神棚の前に座るどころか手を合わせたことってあるのかな?
仏壇やお墓の前でさえ真剣にやっているとは思えない。
それでもセルフケアには人一倍、気を遣っています。
子供時代に両親から充分な世話を受けることができなかったと本人は思っているようで、
自給自足、自らへのケアには手を抜きません。
まあ、本人が思っている「世話」と両親(私の祖父母)が提供した「世話」が違ったって話なのですが。
傍目から見ればとんでもなく手厚く育てられたと思われています。
でも、「子供」の意識はそんなことお構いなしなのです。
その父が毎夕、欠かさず行うことは、
洗濯後に外で乾かした自分の使うタオルを乾燥機の「ふんわり仕上げ」機能をもって、
「ふんわり」させること。
仮に、他の誰かのものが乾燥中(乾ききらなかったと言う理由)なら、
それを一旦、中止させてまで「ふんわり」させる。
そしてそのタオルたちは全て今治ブランド。
頂き物で彼の地のタオルがあれば、必ず自分用に確保しているようです。
彼のセルフケア列伝のほんの一部ですが、
私が今治産タオルを選ぶには充分な理由です。
信心のかけらも垣間見えない彼ですが、