つばき洞生活ノート

つばき洞生活ノート

BBSH(Barbara Brennan School of Healing)卒業生による日々の記録です

『光の手』新訳版が出版されます

バーバラの最初の著作であり、「バーバラ言うたらこれ!」というくらい、バーバラやバーバラの教えるヒーリングスキルの代名詞的著作である『Hands of Light』の日本語新訳版が出版されます。

 

BBSHでのDLM(宿題)の一部は『光の手』内の設問に答えることを求めているのに、日本語版は絶版になっており、いざ読みたい、となっても図書館で借りてくるか古書を入手するしかない状態が長らく続きました。

 

以前から「いずれは」出版されるとは耳にしていたものの、それがいつかは分からずでした。

でも、ついに発売予定日が出版社さんのHPに出ていましたよ〜。

www.kawade.co.jp

www.kawade.co.jp

旧版が出版されてから26年が経過し、その間の業界の進化に合わせた翻訳を求める声の存在もさりながら、

時には旧版の『光の手』の読解の壁を理由にBBSHでの学びが相当に難解なものであるとお考えになる方も進学検討者のうちの相当な割合を占めている印象は否めませんでした。

 

今年の3月からBBSH日本校が再開しました。

これとバーバラ三冊目の著作『コアライトヒーリング』及び、この度の『光の手』新訳版の出版は別々に進行していた計画で、たまたま現実化したのが今年だったという、普段はこのような偶然の一致に慎重な私もちょっと「ぞわっ」とするような状況です。

 

制限するものはなあに?

いまでこそ頻度は下がりましたが、私は火山の噴火や地震の夢をよく見ます。

火山の噴火の夢は小学生の頃から見始めました。

 

夢には色々な意味があって、

記憶の整理やら予知夢やら言われていますが、

私の場合は自分が恐怖している状況の象徴だったようです。

 

天災=自分に対処できない制限

 

これは私のポリクレストレメディーの質である「やられている、やられっぱなし感=被害者意識」とも関連があるように思います。

 

私のポリクレストに限らず、

人が「〜されている」と受動態表現をしているときは子供の意識が舵を握っている可能性が高いです。

その状態では真実は見えていません。

孤独な幻想世界=病の世界に生きています。

 

病の世界から出る必要はありません。

むしろ「なかったこと」にするのは病を深めます。

 

ならばどうする?

 

制限から自由な状態をすでに知っていることを確認しつつ、制限のある世界にいる感覚を受け入れることが第一歩のようです。

新しい描き方

久しぶりにキャンバスに向かっております。

Year4のはじめの頃から描いてないわ〜。

 

ASBIWのメンバーが企画しているクラス(2時間×4回)に参加することになりまして、

久々にキャンバス張りとジェッソ塗り。

サイズはP12。

手頃な大きさです。

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参加してるクラスはこちら↓

www.mariaperryart.com

 

私が何かを習うときは「理屈を知りたい」というのが動機であることが多く、

絵画はその最たるもの。

感じることや自分のその瞬間瞬間の感情にアクセスすることが私にとってはあまりに危険で痛いことであったために、絵画に限らず私の物事に対する態度はこのようなものでした。

 

しかし、私の尊敬してやまない友人は、

「私の感情がなくなったら私は私でなくなる」

と、突き刺さる一言を放つ。

 

「自分の感情」とやらを徹底的に避け、抑圧することを良しとすることに限界を感じ始めたのか、かつての自分の作品に違和感を覚えるようになってきました。

 

うん、違うやり方を試す時やね、と思ったので紆余曲折はありつつ、参加決定。

 

いわゆる「スピ系」とArtを結びつけることに関して素直になれないには十分な経験があるために二の足は踏みまくり。

ゆえに直前の申し込みでした。

 

2時間×4回のオンラインレッスンで初回の2時間を使ってここまで。

各フェーズで瞑想したり体を動かしたりしてから色を選び筆を走らせます。
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細かい国の住人の私はどこへ行った?

身体精神

何年かおきに発生する皮膚炎症案件に取り組んでいるところです。

今まではバウンダリー問題でひっかかって炎症が爆発していたのですが、

今回は様子が違います。

皮膚の炎症なのでバウンダリー問題も無きにしも非ずですが、

中心テーマがいままでの炎症とはちょっと異なっている印象です。

バウンダリーが中心テーマだった時は感染症も同時にひどく起こしていたので浸出液が臭かったです。

今回はそのようなことはありません。

 

先日、BIPとのセッションでこの問題を取り上げました。

そのBIPもかつては皮膚症状で悩んでいたとか。

セッションの中で痛〜い質問が繰り出されました。

 

「どうも貴方は自分に厳しすぎるように感じる。自分を愛おしんでいるのか?」

 

前半の部分は言い換えるならば、自分に対するジャッジメントの声が強い、理想の自己像も強い、ということ・・・そうなんよ、でも理想の自己像はなかなか取るのが難しい。

 

質問への答えとしてはNo。

 

叱咤激励してなんぼ、と思ってやってきているからね、その癖は抜けない。

ましてや炎症で荒れた皮膚の自分をどうやって愛し受け入れよというのか・・・でもそれをやりなさい、ということなんでしょう。

それが証拠に、この問題についてのワークをしたあと、一時的に症状が大改善しましたから。

 

今回の皮膚症状の悪化を機会に敏感肌、アトピー肌への対策についての動画を色々拝見しております。

健康的な印象の方もあれば、その逆も然りで。

この場合の「健康的」とは肌の状態だけではなく全体的なその方の印象です。

 

「ナンカコノヒトオコッテハル」

 

語り口は穏やかでも見え隠れするふつふつとした感情があるのです。

それは噴火寸前の火山の火口を見るような気分。

だからと言って薬を使って炎症を鎮めることが悪いこととは思いません。

私は皮膚が寛解状態になっても精神までは健康になっていないと感じていたので「こっち」方面に来たのよね。

 

チケット到来

私の住まう自治体では65歳以上の方に加えて12歳以上の住民にもワクチン接種県が送付され始めました。

そして、ついに私のところにも来たよ。

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予約開始はもう少し先です。

そして接種を受けるかどうかはまだ考え中です。

両親は2回の接種を終え、おかげさまで少し発熱するくらいで大きな副反応もなく過ごしています。

ワクチンが「絶対危険」と主張することも「絶対安全」と言い切ることも、どちらも不健康で、

未知の状態に対応するにあたり不安が勝り、自らの外側に想いの矛先が向かうのも仕方ないこととは思います。

 

さすがに「なんだか素敵なチップ」が注入されるとまでは思わないけれども、

特にモデルナ社製ワクチンに関しては副反応として血栓ができやすく、特に若い男性に関しては心筋症を引き起こしやすいことは事実であるうえに、実際に私の周囲で重篤な基礎疾患がないのにワクチン(お一人はモデルナ社製を接種)接種後に心疾患や脳血管障害に見舞われた(そして亡くなった)方が3件あります。

一方、重篤な基礎疾患があるがゆえにワクチン接種を受けて無事な同級生もいます。

両親やそのほかの接種を終えた多くの人のように、副反応は起きてもそのあと無事な人のほうが圧倒的に多いです。

今まで何らかのワクチンを接種して具合が悪くなったことはありませんが、ここのところの「前は大丈夫やったけどあかんかった食べ物」頻出状態は接種をためらうに十分な理由であります。

 

さすがにワクチン保存用の冷蔵庫のプラグを抜くのはテロ行為以外の何物でもないと思いますが、接種を受ける自由と受けない自由はどちらも確保されてしかるべきものと考えます。

 

さて、どうするかな。