土井たか子さんが亡くなった。
祖母は彼女と同年生まれで、
「私と同じ年の人があんなに赤い服をきている」
と少々ライバル心を燃やしていた・・・その祖母はいまから10年くらい前に亡くなった。
こんな秋の日だった。
土井たか子さん、といえば思い出すのが、津田道子先生。
同志社時代の2年後輩だった。
当時は弁当持参の学生生活で、
彼女だけ金属(アルミかしら?)のお弁当箱を持って来て、
それをフォークで食べていたんだって。
彼女をみるとフォークとお弁当箱がすれあって「きいきい」言う音を思い出す、
と話しておられた。
音楽家だけに、聴覚にまつわる記憶が鮮明なのかもしれない。
この話は師匠試験のための楽理講習の休憩時間にお話くださった。
講習といっても、参加者は3人しかいなくて、
師匠試験を受けたのはその中で私だけだった。
一対一、というか試験官は二人だったので、
一対二。
課題曲の吉沢検校「夏の曲」散しの部分の、
なんともロマンチックな解説に感動したものだった。
その津田先生もずいぶん早くになくなってしまった。
その試験の2年後。
師匠披露のときは一緒の舞台に立たせてもらえる予定だったけれども、体調をくずされていて流れた。
それっきり。
みんな昔のヒトの話。