つばき洞生活ノート

つばき洞生活ノート

BBSH(Barbara Brennan School of Healing)卒業生による日々の記録です

得物

得物=自分の得意とする武器、自分の得意なこと 箏曲をやっていると、三絃はつきもの。 古曲は三絃のオリジナルがあって、そこに筝手付けがされるので、 三絃から習った方が分かりやすい部分が多い、特に。 昔は筝は添え物だった、とも聞く。 新曲をするとなれば、ここに17絃が加わり、 もう少し欲張れば、胡弓がプラスされる。 自分の所属会の事業目的の中心は「柳川流三絃、生田流箏曲、腕崎流胡弓の伝承」である。 これらを一人の先生から習う・・・胡弓はちょい微妙やが。 つまり地歌業界は基本、多種目競技。 これにも驚かれる。 さて、また個展打ち上げでの演奏を、とお声をかけていただく。 一応、 どの楽器がいいですか? どんながいいですか? とクライアントの意向を聞いてみる。 スペースの都合で筝と17絃は無理。 意外と筝は演奏スペースがコンパクトなのでいけそうだけどね。 そうなると、三絃が妥当かな、ということになり、 ここんとこずっと三絃ばっかし。 は音がきれいで珍しさ度は高いけど、 準備と独奏できる曲数の問題で登場回数が少ない。 篳篥は論外。 合奏すればなんとか他の管の方にまぎれていることができるけど、 独奏なんて無理無理。 練習していても一人だと自分の音に凹むもんな。 そういうわけで、また三絃。 やはり自分がノッて演奏できるのは古曲なので、 そこから選ぼう、となる。 前回、前々回と「黒田節」のリクエストがあったので、 越殿楽古代)+越殿楽今様(中世)+菜蕗(越殿楽からできた地歌の組歌)(近世)+黒田節(現代) の編曲をしようか、とも思ったり・・・これは野望かもしれない。 いつもその会に参加している同僚にアンケートしてみる。 どうしても古曲だと歌が入るので、 果たしてそれはOKなのかどうか。 意外なことに、歌はあったほうがいい、と。 いままでさんざん、 「古曲は言っている意味がわからん」とか言われていたので、これまたびっくり。 実はクライアントも歌があったほうが良い、と仰る。 古曲で言葉は古いけど、何となくわかる、と。 ふーん、そうなのね。 じゃあ、遠慮なく・・・ 今んとこ仕上がっている「三津山」の三絃をしようかなと思っている。 「三津山」全部をすると30分かかるので、 面白いところだけ抜粋。 地歌の演奏会でも「そんなん全部やっとったらお客さん帰ってしまわはるわ!」と先生談。 それくらいの長丁場の曲。 前半の静かなところがあるから、対比で後半の勢いが面白いと思うけどね。 「三津山」は謡曲に取材した、三下り出発の曲で、 物語の登場人物は案の定、狂って物の怪(蜘蛛)になっちゃいます。 道成寺、鉄輪、富士太鼓など、登場人物は狂気の世界に言ってしまったり、行ったり来たり。 でも曲自体は勢いがあって面白い。 狂気は正気の紙一重の部分にあって、 そこへ行ってしまうのを恐れつつも、ある種のあこがれも同時に存在している、と感じる。 そして、 正気、と自分のことを思っていること自体が狂気かもしれない。