しごと=やんなきゃいけないこと=おもしろくないこと
そう、思っていた。
自分が育った周囲の人たちは、仕事を「いやいや」やっていたように見えた。
本当はやりたくないけれども、
何か正当な理由、大義名分があるからやらなきゃいけないもの。
そういう感じで、時に(いやしょっちゅう、毎日、秒きざみに)周囲の人間に当たりつつやるものだと。
今となっては全くの言い訳だが、
同じ年代のヒトが就職すべき時期に就職しないままで、
でも、有り難いことに今の仕事(複数ある・・・)を得て、
なんで、仕事がイヤなものなのか?と思う。
私としては、こんな世間からはみ出したものが使ってもらえる場所があるなんて、
「なんて僥倖か!」と思う。
仕事のあることの有り難さよ。
たしかに、
将来の展望を思い描いたとき、
そこに自分がどのかの会社に入って働く、というビジョンはみあたらなかった。
自分は世間で通用しない人間だろうと思っていたしね。
まともな社会生活が送れないと思っていたんだわ・・・それは身体症状の出方が全く予測不可能だったこともあるね。
だから余計に、
自分が給与を頂くなんてとんでもないこと、
と思ってしまう瞬間がある。
結果、個人の仕事(家庭教師とか英語圏の講師に提出する宿題の英訳とか、そもそもの箏曲教授とか)の料金設定が世間の相場とずいぶん乖離していたり(私が適切と思う料金の倍を世間は想定するらしい)。
自然にできて自然にその対価を得られる仕事ができる状態が理想やね。