社中の演奏会が終わってようやくお茶のお稽古に行けるぞ、
というところで8月のお休み月間に突入。
稽古に行く、というよりかは先生に会いにいくんだけどね。
母方の祖母の幼なじみの先生。
今は休んでいるけれども、京都の稽古場を紹介してくださった。
久しぶりなので濃茶からの続き薄をさせてもらう。
「仕組みを知りたい」
が欲求の根底にあるので基本、お茶は楽しい・・・と最近思えるようになってきた。
稽古場の雰囲気もいいからね、それも大きいよ(京都の稽古場は恐怖で固まった記憶しかないもん。それでもあそこでの基礎が今につながっているのだけれども。)。
稽古からの帰途で依頼をうけていた額装品を届ける。
細かい手仕事が要求される作業を経て、
そこから作家さんの作品のお手伝いをする。
細かい作業は「仕組み」のなかで段取りを考えて目的地に美しく到達する大切な過程。
それを楽しんで、
なおかつ「同じ作業をしているのになんとなくより一層綺麗」な仕上がりになるのは嬉しい。
音楽もきっと、そう。
同じ楽譜をなぞって、
伝えられたように演奏しているけれども仕上がりはまちまち。
より美しく、を目指す楽しさ。
目指す、というかその「仕組み」を真摯になぞっていくと美しい仕上がりになる感じ。
以前は音楽も絵画も、その他の自分が関わっている業界のどこにいても自分の全部を使えている感覚がなかった。
しかし、
BBでの経験は全身の全てを使っている感じられて楽しくて仕方なかった。
だからまた彼処に行きたいと思い続けてきたのかもしれない。
BBSHの宿題を進めるなかで再び「全部」を使うことの楽しさを思い出したことで、
自分の要素のそれぞれも楽しむことが出来るようになってきた感じがする。
でもそれの意味するところはまだわからない。