つばき洞生活ノート

つばき洞生活ノート

BBSH(Barbara Brennan School of Healing)卒業生による日々の記録です

日本の伝統的音楽には本当に指揮者はいないのか?

「日本の伝統的音楽」

と大風呂敷を広げました・・・その一角を為す「箏曲三絃」と「雅楽」に限ります。

勿論、両方とも古典曲演奏の場合、ね。

 

指揮者がいない、

というよりかは誰かが指揮者を兼務しているんですよ。

 

箏曲三絃だと、

 

大人数での合奏の場合は中心になる演奏者が自ずと決まって、

そういうヒトはずらっと並んだ演奏者の真ん中にいる。

そのヒトの音を聞いて周囲は拍子をあわせる。

ときには曲の始まりをこの人が「・・・ヤ」とかけ声をかけたり軽く楽器をならしたりして知らせる。

他の演奏者はその拍子を読んで演奏を開始する。

 

雅楽だと、

 羯鼓が指揮者ポジションと言われている。

羯鼓がいない場合、

たとえばシンプルな三管仕立ての場合だとその役割は笙が担うと耳にしたことがある。

主旋律を担当するのは主に篳篥だけれども、

最終的に拍子を決めるのは笙である、と。

多くの場合笙は篳篥龍笛に先んじて次のフレーズに用いる音を鳴らしている。

音量=息をいれる量は1小節(のようなもの)のなかで多少があるので、

その音量の変化から他の管は拍子を感じる・・・はず。

 

どちらにしても、

誰かその集団の中心になるヒトに注目していて、

そのヒトの動作から次の一手を決断する、その連続。

 

所謂、西洋音楽の指揮者さんを見ていると、

その動作のなかにリズムを見いだして、

その着地点を演奏者は感じ取って演奏しているのがわかる

・・・文章にするのが難しいな。

 

ふわっ、って手を上げたら、

それが落ちてくるタイミングを計って音を出す。

 

誰か中心になるヒトの動きを見て、

その体の動き=呼吸から次のフレーズを編んでいく。

 

単に役割分担が違うだけで同じことをしてるんだよね。