石垣が立派だから源九郎さんにお参りするときに見て来たら、とおすすめされていました。
最近、石垣の調査が終わって「上」まで登ることができるようになった
その調査の結果、秀長時代には金箔の瓦が使われていたらしいことがわかった
これは行かなきゃ・・・
それに、
今のところ、
しつこいくらいに画題が「石」ですから。
F30号くらいなら近所の石垣でなんとかなりました。
F50号になるとデフォルメしても使える石垣が限られて来ます。
今後はF100号を目指しているので(先生が・・・)ちょいと大きめの石の壁を取材中な自分にはもってこい。
駐車場的なものを見いだせないまま推定・郡山高校の学生たちを横目に源九郎さんへ向かった後は一瞬、あきらめかけた郡山城ですが、
源九郎さんの社務所でうかがったお話にすっかり盛り上がった我々は、
郡山城石垣を観に行くことにしました。
天守部分以外の遺構もところどころに残されていて、
突然、石垣があったり・・・
下は信号待ち中に撮影の遺構。
大和郡山は100万石。
一方、うちとこはせいぜい10万石の城下町ですが、
同じ匂いがするぜ!!
しかし、
さすがの石垣。
見応えがあるわあ。
適当に組んでいそうでそうでもないという。
有名な「さかさ地蔵」。
奈良地方には石垣に使うための石材が少なかったので、
大和郡山城の築城の際には「どんな石でもええからもってこい!」的にお地蔵さんまで供出させられたらしい・・・どんなお城でも多少は再利用の石材を使っていると思いますが、まさかのお地蔵さん。
卒塔婆やお賽銭(?)が雰囲気を盛り上げていますよ。
向かって右側の卒塔婆の横の石がお地蔵さん。
お体が地面に向かう状態で突っ込まれています。
他よりも大きめの空洞には大量のお賽銭が・・・。
いいものを見せてもらいました。