お盆休みですが、
いつもの恒例、合奏大会。
本番・・・しかも立て続けの1日3式に備えて、平調中心に、
五常楽急、皇麞急、三台塩急、越殿楽、鶏徳、林歌、老君子、夜半楽、陪臚
最後に、雙調の陵王。
筝三絃にも同じことが言えるのだけれども、
新しい曲に触れる意味って大きい。
ある曲で、
何回練習してもできなかった部分が、
他の曲をちょろっとかじった後で不思議になんともなくできるようになっていたり、
練習中は必死で何も感じなくても、
他の新しい曲に触れることで自分なりの基準ができた結果、
昔はくらいつくのに必死なだけで過ぎていた曲の名曲たる評判に納得したりして。
無理やりのせいのびしまくりでもいいから、と色々な曲を教えてもらった結果、
一番最初に習った越殿楽は、
雅楽といえばこれってくらい有名で、
おまけにフレーズが有名過ぎて中世では今様に使われたり、
近世では組歌に使われ、近いところだと黒田節がにているとかなんとか言われる、
それなのに、
雅楽の曲の中ではすんごい変、と思ったり、
平調の夜半楽と壱越調の北庭楽に共通するものを見つけてほくそ笑んだり。
京地歌でいうなら、
習いかけの10年前には必死だっただけの「船の夢」の良さがようやく分かったり、
新しく習ったマイナー曲の「大和文」の良さが身にしみたり。
なんとか細々と続けることができているから、
そういうこともうっすら感じることができるようになって来ているのだな。
とっかかりで面白くないから、とあっさり見切りをつけて勿体無いものの一つが古典音楽ではないかな、とも思うのね。
なんかわからんけどとりあえず続けてみる。
新しい自分の物差しはそこで見つかる。
そしてその物差しは一生ものだよ。