つばき洞生活ノート

つばき洞生活ノート

BBSH(Barbara Brennan School of Healing)現役生の日記です

選択肢は無限

私が絵画教室に行く時間は色々な年代の生徒がいます。

 

下は小学校2年生から、

上は55歳くらい。

教室全体ではもっと幅が広がって最高齢は80歳だね。

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いつも奏楽でお邪魔している神社の名物桜。 八重桜のような姿で花弁がソメイヨシノより大きく、色も濃い。

 

さいきん、耳にして驚いたのが、

公立小学校での英語の義務化。

 

それに伴って、英語の塾に行き始めるのだ、という子の多いこと。

 

確かに、

小さいうちからやっておかなければ身につきにくいことは確かにあります。

しかし、

それに英語は含まれない、と私は思う。

 

英語を母国語とするひとたちは誰もね、

日本人が自分たちと同じように話すことを期待していないの。

 

それよりも、

日本人、というか、

その人がどういう考えを持っていて、

そのベースにはどういう文化背景があって、

独自の文化として彼らが知っているものをどれくらい説明できるか、ときには実演できるかってことなのね。

 

そこに表出するのは文化面での交流かもしれないけれども、

それをまとって海外に出た時、

一番心強いのはその日本人ほんにんなんだよ。

黄色人種への差別云々は確かにあると思うけれども、

じぶんのアイデンテティーが確固たるものであるとき、

「差別」って観念がふっとぶから。

 

差別する、されるを超えるの。

 

私は、「日本の伝統文化が好きだから」というスタンスで箏曲地歌雅楽に着手した覚えはない。

お茶とかお花とかも、

幸い身内がやっていた、とか道具があるから、という接点しかないし。

 

ただ、

この風土で培われた文化なら、ここに住んでいるうちに体験した方がちゃんとわかるよね、と思って始めて、

面白い、と思ったから箏曲地歌雅楽は今でも続いている。

 

日本のフィールドのなかで、

日本の持つ聖なるテンプレートを通して創造されたものを体験するのが、ここに住んでいる者の特権だ、くらいに思っていました・・・「日本」の定義はさておき。

 

母国語以外の言語はツールに過ぎないんだよ。

 

それを使う方の「あり様」のほうが、

外国人とコミュニケーションをとるときに差をつけると思うの。

 

リスニング試験さえ必要とされなかった中学、高校生時代だったし、

大学も英語とは無縁の学部学科。

それでも今のスクールの同級生や先生と無理やりながらもコミュニケーションをとっているのは、

大学受験時代の英文法のトレーニングと、

知らないうちに身についていたアイデンテティーのおかげだと思う。

 

少なくとも、

私は「日本を愛しているよ」と、堂々と外国人の知人に言えるから。