こちらの続きです。
自国に対する他国の方々が持つイメージに困惑することは誰しもあることで、
ときにそれは興味深くさえあるのですが、
著しい誤解には突っ込みたくなります。
ましてや、ハラレベルはBHS独自のものですし、大特徴でもあります。
もちろん、スクールでの教えの大事な部分です。
素直に同級生に自分の感覚を話しました。
興味深い視点は、
「遺伝子的にそうなっているのではないか」という意見。
だから、
国民の皆がサムライでなくとも、
また武道を嗜んでいなくとも、
「ハラ強」のポテンシャルはすでにある、というわけ。
分子生物学的視点からの指摘はなかなかエキサイティングで興味をかき立てられますね〜。
では、
そのポテンシャルを発揮させる=遺伝子のスイッチを押すのは何か?
と 考えた時、
それは文化的土壌がその一つではないか、と思います。
(鶏が先か卵が先か問題が発生しそうです)
とりわけ近世に成立、あるいは流布した文化が強く関わっているのではないかと推測します。
茶華道はじめとするその精神面を仏教に拠るところが多い文化には、
日本人、サムライ、ハラを繋ぐキイワードの存在が感じられます。
茶道の場合、
日常の全てが修行であり、
それらは、而今=ただ、今という在り方で行うと教えられたことがあります。
だから、茶人は一碗に命を懸けている。
これが常々が命懸けだった武士に茶の湯が受け入れられていった理由でもあると言われています。
感情は過去の何かを目の前のことや未来のことにオーバーラップさせた結果生まれるものです。
感情はオーラのレベルにあって、
そこよりも深い部分であるハラには感情はもはや存在しません。
この而今の在り方がハラに通じるのかもしれません。
そうそう、古文書を読んでいたころ、「而今」をよく目にしました。
「而今以後、以如件(じこんいご、もってくだんのごとし)」
=今後はこのようにすること!
この場合は別の意味で使われていますね。
つづきます。