BBSHやらバーバラの著作で言うところの「意図のレベル」は、
総じて、この日本社会に暮らす人には身近すぎてもはや認識できないくらいに身についています。
昔、日本で開催されるワークショップや日本校の一年生の授業でハラレベルを教えるのに苦労がない、とBBSHの先生方がおっしゃっているのを耳にしたことがあります。
それくらいに全体的な傾向としてこの国土に住まう者はハラが強い。
ハラレベルは意図の次元です。
「意図」とは、
わかりやすいところでいうと「自分はこうしたい」という思い。
無理やりなんとか、って話ではなくてね。
これがハラだとわかり、経験が積み重なると、
「自分はこうしたい」が
「こうなることになっているよね」になるように思います。
既に「ある」のだからそれに向かっていくかいかないかはあなた次第。
このハラの感覚は説明するのが難しい一方で、腑に落ちれば話は早いね。
音楽を演っているひとはこのハラの感覚は身に覚えがあるかもね。
譜面を追っていくと「ああ、この人はこういうことが言いたいのやね〜」と思うし、合奏仲間もそう思っている。
あとはその作曲者やその曲を連綿と演奏し続けてきた演奏者たちが示してくれているテンプレートに従うだけでよい。
既にテンプレート=鋳型はあるのでそこに創造の光を流し込むだけなのよ・・・ってわけがわからん話ですね。
そしてこれがまさに第5レベル的な物事の展開なのね。
そしてBBSHにおいて日本は第5レベル的な国と言われている。
第5レベルは「聖なる」テンプレートのレベルで、
ここで「聖なる」って言い切ってしまっているということは、
既に聖性はある、という揺るぎない前提を示しているわけで、
「自分を今以上に探求したときに出てくるものがとんでもなく邪悪で手に負えないのでは?」というご心配には及びません、てはなしです。
一見、その出て来たものは邪悪に見えるかもしれませんが、それはもともとの聖性から発したものが歪んでしまった結果でしかないのです。
まずは聖性がありますよ、ってのが大前提なのです。
言葉遊びぽくなりましたが、この前提を押さえておくことは大事だと思います。
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