恩師の急な訃報に接しました。
彼は私のBBSHフロリダ校Year3時代のスモールクラス・ティーチャーでした。
Year3当時の私は防衛祭り真っ只中で、
年上・男性・Teacher=権威者への感情反応に明け暮れていました・・・ひどい話や。
権威との関係性を取り扱う第3学年のエネルギーにどっぷりとはまり込んでいたわけです。
防衛のエネルギーは痛いです。
いくらTeacherがそれを真正面から受ける立場であり、その点にコミットしていようと、
痛いものは痛い・・・Teacherだって人の子ですもの。
しかし、この御仁、それでもなお「そこ」に居続けたんだな。
何なら、気づいたら私の防衛の矢面・真正面にいる。
「ああ、Teacherってすごい仕事だわ(語彙・・・)」
誇張でも何でもなく、こう思った瞬間に私は今の場所を選んだと断言できます。
Year3の最終クラスで、どういうタイミングだったか彼と話す機会があって、
「ごめんなさい!ずっと転移からの防衛的態度をとっていました。」
と、正直に謝ったところ、
「そうなの?それならプロセスの時間でやったのに〜。」
なーんて極めて呑気なことを言っていたわね。
愛すべき不完全さを見せてくれた人だったな。
「人の死はヒーリングで何とかならないの?」
しばしば耳にします。
「何とか」って、なんでしょうね。
ヒーリングは可能性を広げるものだと思います。
不完全なところから始まる癒しを待つ姿勢が、ヒーリングを引き起こすのです。