かれこれ5年くらい参加している勉強会が今年も始まりました。
この勉強会と同じ素材を使った別の勉強会はそれよりも前に5年間参加していたので、
合わせて10年ほどこの素材が展開する世界観に身を置いていることになります。
素材は同じでも提供者によって響き方は全く異なる。
これは当然にして、しかし難しいところです。
基本的に素材の質が損なわれることはないと理解しつつも、やはり伝達する側の責任はありますので、
あなたが今、所属しているグループで何か違和感をおぼえているとしたら、それは正解。
コンテンツの質の重要性や必要性に気づいていても、伝達者の在り方とあなたの相性は別の次元で、それを理解した上でそこに居続けるのはアリ(これはリーダーが押し付けることではない、当然に)。
そしてその違和感は、ひょっとしたらそのリーダーがリーダーの責任を放棄しているケースかも。
これは普通の、世間的な感覚で判断できるところです・・・
その勉強会を始めたのは誰ですか?
会場を確保しているのは誰ですか?
コンテンツを組んでいるのは誰ですか?
置かれた場所(私の所属したグループでのケースはリーダーが自ら進んでその役割を担っていたが)への抵抗はリーダーのプロセスだけれども、そうなると「いたいけな子羊=参加者」は置き去り。
それに気づいた時点で「相性が悪いから」とバッサリ切り捨てるのもありだし、敢えて我慢比べをしてもいいと思う。
私は我慢比べをするタイプで、
その点で言えばそんじょそこらの我慢なぞ我慢のうちに入りませんので「この先に見えるものがあるはずだ」と踏ん張ってしまいました。
そうでない方法もあったし、それをしなかったのは「新しい方法」が怖かったからとも言えます。
一方で、踏ん張って見えてきたものもあるのでどっちもどっち。
もう一方の在り方を選択した場合の結果を見ることはできませんので、
一面においては防衛の結果として、またもう一方ではそうではないことのこの現状をどう受け入れるかがキモのようです。

