つばき洞生活ノート

つばき洞生活ノート

BBSH(Barbara Brennan School of Healing)卒業生による日々の記録です

ホワイトセージ

ホワイトセージもお祓いの定番ですね〜。

 

元々はネイティブアメリカンたちが儀式の時に使った植物で、

多種あるセージの一種です。

 

死んだオルゴンエネルギーを空間から除去するのに使います。

 

セージの煙が死んだオルゴンエネルギーを外に出してくれるので、

お部屋の浄化の時には窓を開けて行います。

 

不燃性の容器に火をつけたセージを置いて浄化したい場所をくるくる歩き回ってもいいですし、

そのまま置いておいてもいいです。

 

容器はなんでもいいのですが、

アバロンという内側が虹色の貝を使うとより良い、とも言われています。

アバロンはいわゆるスピ系ショップで取り扱いがあると思いますが、

京都、横浜、大阪、福岡、名古屋など各地で開催されるミネラルショーに行くと大きさもいろいろ選べてなおかつお安いです。

もちろんセージも大容量で売っていますよ。

私は大概ミネラルショーでこれらを仕入れて来ます。

 

自室で使っているのはアバロンではなく近海で採れたアワビの貝殻です。

近所の魚屋さんにお願いして入手したものです。

 

この↓小さいのはミネラルショーで買って来たものです。

300円くらいでした。
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直接貝の上にセージを置くとすぐに消えてしまうので、

茶こしの小さいのを逆さまにして少し凹ませたものを使います。
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空間だけではなく、天然石の浄化にも使われています。

 

いつもお世話になっている天然石のお店では、

購入したものやゴムかえやリメイクしたものをセージでしっかり燻してくれます。

 

この時に炎が上がったり、煙が渦を巻くような様子になると、

その石には「いろいろなもの」が入っているサインだそうですよ。

 

 北米のオーガニックスーパーチェーン・Whole Foodsでもホワイトセージを売っていました。

オーガニック系とはいえ、スーパーでセージが売っていることにとても驚きました。 

 

2017のプロローグ

BBSHの宿題はDLMと呼ばれています。

 

「ディスタンス・ラーニング・モジュール」の略。

 

年間7つ提出して、

そのうちの3つは新学年が始まる前に提出しなければなりません。

Year3の最初のDLM締め切りは8/25。

 

まずは、

スクールカタログについての設問です。
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さすが、アメリカ。

細かく規則が定められています。

日本だと曖昧になりがちな、

 

クライアントとセラピスト

生徒と学校

生徒と教師

 

の関係についての規則も定められています。

 

もちろん、

学校生活についての様々なことについても詳細に渡って書かれていますよ。

 

ちと厳しすぎやしないかい?

と、入学したばかりの頃は思いましたが、

ホメオパスになるためのトレーニングを受けて、

プラクティスを提供する側や逆に受ける側になると、

こう言った規則がきちんと定められていることがいかに治癒にとって必要かが身にしみました。

 

しかし、英語で読んでいるのは辛い、

誤解もあるかもしれん。

 

ということで・・・
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 ちょっと探したらすぐに出て来た、日本校時代に入手していたスクールカタログ。

もちろん、日本語で書いてありますよ。

 

しかし、自分の物持ちの良さには呆れるわ。

もうかれこれ7年前の書類よ?

残していたのはいつか復学するぜ!と思っていたからなんですけどね。

何でもかんでも残しているわけではないです。

 

日本語版の助けを借りまして、

まずは一つ目の宿題は終了しました・・・やれやれ。 

 

昨年度の末に先生はこう言っていました。

 

「Year3のTeacherはクレイジーだから、

宿題は提出期限に出すこと、

枚数の制限はきちんと守ること、余計なストーリーはいらない。」

 

そう、

今度はもう3年生なんです。

権威との関係性の学年と言われています。

 

その権威は自分の外側、内側両方の権威を含んでいるのだと思います。

 

インナーチャイルドを放し飼いにしないで大人のエゴを健康に育て上げる。

 

そういう段階に入っているのかもしれません。

 

 

 

お塩といえばお祓いでは定番中の定番ですし、

すでに取り入れていらっしゃる方も多いと思いますので 、

使ってみて個人的に好きだったものを少しご紹介。

 

お塩の使い方は、

 

お風呂に入れる(ひとつまみくらいで十分)

お財布に入れる

お守りのかわりにポケットに入れておく

「あれ?」と思った時に舐める

職場の盛り塩

 

こんな感じです。

 

気に入りのものは、

 

岩戸の塩について | 伊勢志摩 みそぎの町二見浦の塩結びの宿 岩戸館

 二見興玉神社の近くで売っていますし、

鳥羽駅に隣接するお土産屋さんにも売っていましたよ。

ネットでも購入できます。

 

うっすら色のついたお塩です。

 

最近、教えていただいてお風呂に入れているのはこちら↓

www.hadohou.com

 

神社で売られているお塩ですと、椿大社のものが好きです。

 

盛り塩の時に便利なキットはこちら↓

www.ise-miyachu.net

 

たまには真面目に

お盆休みですが、

いつもの恒例、合奏大会。

 

本番・・・しかも立て続けの1日3式に備えて、平調中心に、

 

五常楽急、皇麞急、三台塩急、越殿楽、鶏徳、林歌、老君子、夜半楽、陪臚

 

最後に、雙調の陵王。

 

筝三絃にも同じことが言えるのだけれども、

新しい曲に触れる意味って大きい。

 

ある曲で、

何回練習してもできなかった部分が、

他の曲をちょろっとかじった後で不思議になんともなくできるようになっていたり、

練習中は必死で何も感じなくても、

他の新しい曲に触れることで自分なりの基準ができた結果、

昔はくらいつくのに必死なだけで過ぎていた曲の名曲たる評判に納得したりして。

 

無理やりのせいのびしまくりでもいいから、と色々な曲を教えてもらった結果、

 

 

一番最初に習った越殿楽は、

 

雅楽といえばこれってくらい有名で、

 

おまけにフレーズが有名過ぎて中世では今様に使われたり、

近世では組歌に使われ、近いところだと黒田節がにているとかなんとか言われる、

 

それなのに、

雅楽の曲の中ではすんごい変、と思ったり、

平調の夜半楽と壱越調の北庭楽に共通するものを見つけてほくそ笑んだり。

 

地歌でいうなら、

習いかけの10年前には必死だっただけの「船の夢」の良さがようやく分かったり、

新しく習ったマイナー曲の「大和文」の良さが身にしみたり。

 

なんとか細々と続けることができているから、

そういうこともうっすら感じることができるようになって来ているのだな。

 

とっかかりで面白くないから、とあっさり見切りをつけて勿体無いものの一つが古典音楽ではないかな、とも思うのね。

 

なんかわからんけどとりあえず続けてみる。

 

新しい自分の物差しはそこで見つかる。

 

そしてその物差しは一生ものだよ。

石の大手術

こちら、過去の写真。
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10㎜水晶の腕輪と30㎜直径の丸玉。

これからセージで燻そうかってところ。

 

お憑かれが酷くなって皮膚に症状がで始めてから、いつも腕にしているブレスを水晶ばかりでできたものにしました。

 

水晶に吸い取ってもらおう、という魂胆です。

 

1日が終わったら水晶のさざれとクラスターが入った器に入れてチャージしているのですが、

最近、それが一晩おいても復活していない気がする。

 

石も綺麗な感じが失われたままの気がしました。

 

気のせい、とはいえ気になります。

いつもの石屋さんに行って浄化なりリメイクしてもらって心機一転することにしました。

 

ちょうど、自分がおやすみでしたので買い物ついでに出かけてきました。

 

もう少し大きなサイズの玉を加えるのが大まかなプランでした。
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出来上がったのがこちら。

 

今までの玉をオーラ加工された水晶で挟んでもらいました。

昔はオーラ加工した石が嫌いだったけれどもこのこたち↓をお店で見てからは真逆になりましたね〜。

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最後に出来上がったブレスと、

リメイク前に使っていた水晶と、

今日身につけていた腕輪を一緒にセージで燻してもらいました。

 

この時に煙が轟々と渦巻いたり、

セージが激しく燃えるときは石に色々なものが入っている状態なのだそう。

 

石のケガレ気のせいではなかったらしく、

浄化中にモクモクと煙が上がってお店の方、注目。

 

「入ってますねー」

 

と。

 

気のせいでも動いておいてよかった。