5月26日に予定されている演奏会の下合わせが始まっています。
演目には個人的に好きな「夏の曲」「笹の露」「楓の花」などが含まれ、
また個人の嗜好を越えて古典の名曲・ど真ん中な構成です。
「夏の曲」の手事と「楓の花」は明治期の松阪春栄の手によるものなので「明治新曲」の区分ですが、所属会にとっては超絶・重要な作品。
私の出演演目は「越後獅子」
所属社中の枠を越えてのメンバー構成ながら、お互いによく見知った間柄ゆえ、
待ち時間の雑談はたのし。
そこで意外な師匠のひとこと。
「この子(私)とはナ、曲のはなしやのうて歌詞の話、すんねん。昔からそうやねん。」
・・・確かに、歌詞のことをあれこれ言うてるな。
理由はいくつか思い当たる。
京地歌は音の推移に京言葉のイントネーションが反映されている。
しかし私は生粋の「京都人」(もしこのようなカテゴリがあるとすれば)ではないため、
ベースは関西のイントネーションではあっても、
地域柄、美濃と尾張の言葉の影響も大きく、音の推移を真に理解しているとは考えにくい。
この点については言っても詮方なきことながら、
伝承に重きを置いている所属会の性質上いかがなものかと思うわけで、
ついつい、「これは何を意味している言葉か」と立ち止まってしまうのは、
その言葉のエッセンスを知ってからでないと習ったように音を発するのが難しい気質のせい。