つばき洞生活ノート

つばき洞生活ノート

BBSH(Barbara Brennan School of Healing)卒業生による日々の記録です

上向きベース

免許の更新手続きをしてきました。

 

ちょうど、講習の開催日が今日でしたので少し待って講習を受けることにしました。

 

いつも通り、

「協会費」(500円/年=5年免許の人は2,500円払う)はスルー。

県の免許センターで協会費を断ったら、協会関係者らしいおっちゃんが半ギレになって嫌だった。

以降、払わない。

 

講習が始まるなり、

講師の人がムッチャ早口な上に声が通らないことが判明・・・何を行っているかわからない。

やり尽くしているのか、

文章の最初は聞き取れるけど、

そこから流して喋るので後半とか結論部分が全く聞き取れない。

 

かろうじて、聞き取れた中で、

ライトは上向きベースで、

って言われた。

 

上向き=ハイビームって、

対向車や先行車にとってはちょっとした紛争要因ですよ、

「喧嘩売ってんのか?」って思うし思われる。

 

最近の車のバックミラーは後続車のハイビームが反射しないようにできているみたいですが、

そんなの最近のだけ。

従来のミラー搭載車でハイビームの車が後ろから来たら、

やんちゃな方が威嚇しながら走ってくると思うで〜。

 

2年くらい前、

ハイビームになっているのに気づかないで走っていたら、

対向車がライトをチカチカして教えてくれたし(教えるというよりむしろキレ気味)、

逆に、ハイビームで対向して来た車には注意した・・・こっちの運転が危なくなるから。

 

対応策としては、

対向車が来たらこまめに下げろ、と。

 

今のライトは昔のライトよりずっと輝くから、

眩しがりなので一瞬でもハイビームって目が眩んで危ないと私は感じる。

 

だから今のところは普通の状態のライトで走ります(よほど田舎の、真っ暗な農道でない限りは)。

 

 

自業自得

アートのイベントに行ってきました。

 

著作権があると思うので写真はありません。

 

概要は、

シャッター街になった商店街とその周辺の古い町並みを利用しての現代アートの祭典です。

 

現代アートに触れる機会を積極的に持ちたいと思っていることと、

加えて、絵の先生が参加しているということもあり、

足を延ばしました。

 

平日の、午後3時でしたので

ほとんど独り占め状態で作品を見ることができました。

 

インスタレーションってゆっくり静かにぼーっと見ていたいから。

 

現代アートの混沌とした危うくでもフレッシュな力が、

昭和の40年代くらいで止まったような空間で跳梁跋扈している。

 

その空間ではアーティストのエネルギーと、

かつてその空間で日常を過ごしていたエネルギーが、

時空を超えてないまぜになっている。

 

アーティストのそれが勝っている場合もあるし、

そうでもない場合もある。

後者の場合、アーティストの力が弱いとかそういう話ではないけど。

 

そういう差異も興味深かった。

 

だから、

何箇所か「ここは入ったらあかんところやな」

と感じるところがあったのに、

作品見たさに、ずんずん入って行ってしまった。

 

自業自得なんですが、

久しぶりにすごいの、きたよ。

 

今日は水を飲みつつブラックソルトをかじって、

エプソムソルトを入れたお湯に浸かって、

セージを焚きつつ眠ります。

 

怪我の功名;

ブラックソルトは本当にお祓いにいい。

秋の夜長に3

 

camparimikan.hatenadiary.jp

 

 

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 これらの続きです。

 

中学高校のとき、

いざ、進路を決めましょう、なりたい職業は?

 

と尋ねられて、

 

「巫女」

 

と答えていました。

 

気持ちとしては、神職です。

よく知らなかったので、

「女子の神職=巫女」と思っていた。

家は普通のサラリーマン家庭ですし、

身内に神社関係の人はいません。

 

でも、

神職になろうかな、と思った時期があり、それが中高生の頃。

 

ちょうど、地元には自宅から通える神職養成コース併設の大学がありました。

 

ただ、他に興味のある学問分野もありましたので、

その大学で興味のある専門分野を専攻しつつ、

資格取得に必要な単位を別で取ればいいな、

と思っていました。

一回も聞いたことがないくせに雅楽もやりたいと思っていたので、

雅楽部もあるその大学は私の必要なものを全て持っていました。

 

もちろん、その大学を第一志望校にして、進路希望や模試の志望校欄にはその大学名を書いていました。

 

私の志望校を知った同級生や先生たちは思いとどまるように言いました。

 

確かに、

その大学に行って神職になったとしたら、

他の世界を知らないまま、その中に住むことになる。

一度入ってしまった世界とそこで初めて手にした世界観は思い入れがあろうから、

なかなか手放せないだろう。

そうでなくても私は執着深いから。

 

極力、フラットな思想環境にまずは出て行って、

いろいろな世界を見てから選択してもいいのではないか。

 

自分でもそう思い、その学校に行くのはやめました。

だから、未だに神職でもないしその資格は持っていません。

必要になれば今でも取得できます。

神社庁に限らず、神道の勉強ができるところは沢山ありますし。

 

かろうじて雅楽はやっているしそれが仕事の一部でもあるから、

微妙な距離感でその世界との関わりがあるけど。

 

自分が男性だったら、

迷わず神職か修験者になっていたと思います。

 

女子って、その両方の業界で扱いが微妙なんだよね〜

あくまで「そういう空気があるよね」って感じなんですけど、

絶対に「無理だな」ってのがあるから。

別にそれを批判する気は無いです。

仕方ないことだもん。

無理に押し通すことはしないよ。

 

秋の夜長に2

今にそこそこ満足しているけれども、

 

「あの時ちがう選択をしていたらどうなっていたかな」

 

と思うことがいくつかあります。

 

「秋の夜長に1」謎の外商さん

 

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に続きましては、

理系大学への編入のために通っていた予備校でのこと。

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いい画像が思いつかなかったので美味しいものをどうぞ

休み時間に次の授業のための資料を取りまとめるのを手伝っていた時に、

 

「進学のためのお金に困っているなら援助したい」

 

と、唐突に提案・・・

「この一回こっきりの資料のホチキス留めへの報酬にしては大きな話じゃないか」、

と思ったので、

 

「お金はありますので結構です」

 

とお断りしました・・・実際、困っていないですし。

 

当時から、

西洋医学ベースの現場に入る目的で勉強していたものの、

その先には東洋医学とか補完医療が視野に入っていて、

その点でその講師の方と話題は少しはかぶっていたようでした。

 

(今でもその方向性に変わりはありませんが、

漢方を始めとする中医学の扱う物質レベルを超えた分野に手を染めているので、

仮にその講師の方とお話ししたとしても噛み合わないでしょう。)

 

関心分野の若干の共通もありましたが、援助の理由がわかりませんでしたし、

その援助に見合うリターンも思いつきませんでしたので、

そのようにお断りしました。

 

そして、

その数ヶ月後にその講師の方は人員整理で解雇されていました・・・まずは自助ってやつですかね。

 

 

秋の夜長に1

今にそこそこ満足しているけれども、

 

「あの時ちがう選択をしていたらどうなっていたかな」

 

と思うことがいくつかあります。

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雲間の虹がうまく写らなかった秋分の日の夕方の一枚

なんの為だったったか忘れましたが、

当時東京で学生をしていた兄弟のところに遊びに行った時のこと。

 

日中、個人的に行きたいところに一人で出かけるために新宿のデパートにいました。

 

目的の階で用事を終えて下りのエスカレーターに乗っている時に、

後ろにいたと思われる人が話しかけてきます。

 

その人は私をまるで知っている人とそこで偶然に居合わせたような口ぶりでした。

 

振り返って私が人違いと気づき、

「○○(百貨店)の受付の誰それさんと間違えました、そっくりだから。」

とおっしゃる。

 

そのとき私はは当時の一澤帆布の鞄を持っていて、

あのタグに気づいたその方、ご自分も京都の出だと。

 

でも、全然関西訛りがないのでそれを指摘すると、

仕事柄、関西弁は使わない、自分は○×(百貨店)の外商で、

その仕事でこのデパートに来ている、と。

そういう仕事だから関西弁は使わないのだとお話しになった。

 

「あ〜、だから、○×百貨店の社章をあえてつけておられないのですね」

と、私はまたまたちょっと意地悪に指摘してみたり。

 

そのあと、なんとなくそのデパートの近所の超・昭和な喫茶店でお茶をご馳走になった

 

・・・ついていく私もどうかと思うが、その時は好奇心半分とこれくらいの状況ならすぐにどうとでも危険を回避できると思ってついて行ったと思う。

 

その喫茶店でなんの話をしたのかはあまり覚えていない。

 

その頃、ちょうど宝石にまつわる大規模な詐欺事件が起きていて、

大手の百貨店もそれに巻き込まれていた。

その処理でライバル(?)百貨店を訪れていた、とその人は話していた。

 

その事件の話はこっちから振った・・・それくらいに、およそ50歳くらいのその人と大学院生の自分との共通の話題がなかったからね。

 

すると、唐突にその人が、

 

「東京に出てくる気はない?もし出てくる気があって、金銭的な理由でそれが実現していないのであれば自分が色々手配をしてあげよう。」

 

と言い始めた。

 

意味がわからなかった。

 

大井川どころか、

天竜川を越えれば、

「ああ〜東国にきたな〜・・・」

とアウェイ感に満たされてしまう関西人が、

東京にさしたる目的もなしにくるなんぞ言語道断。

 

当時は修士課程にいたけれども、

博士課程に進む気はなかったし、

仮に進んでも近畿から出る気は無かったし。

 

「いや、いいです、東京に出てくる気もありませんし、お金にも困っていませんから(実際、困っていないので)」

 

とお断りする。

 

「そうですか」と別の話題に向かうも、結局は、

 

「東京に出て来なさい」

 

そう言う話になる。

 

挙句に、

 

「私が育ててあげる」

 

とおっしゃるのだ。

 

今の自分の知らない自分になることに魅力は感じたけれども、

それは誰かから与えられるものではなくて自分で切り拓くものだと思ったので丁重にお断りし、

その人とはそこで別れた(名刺の一枚でももらっておけばよかったかな〜)。

 

あの人は当時の私に何をみていたのだろう?

 

今でもそう思う時がある。

 

当時の私は体調が悪くて今よりも10キロ以上太っていたし、

皮膚の状態も悪くて普通以下の見た目だった。

そもそも、特別に整った容貌ではない。

 

確かに、田舎から出て来た世間知らずの子で、すぐ騙されそうな感じだったのかもしれないね。

 

過大評価してもその程度だったと思う。

 

単なる人買いかしら?

 

と疑ってその人の話していたことを裏付ける取材をしてみたら、

嘘っぽいものは見当たりませんでした。

 

今の状況に不満はないけれども、

あの時あの人について行ったらどうなっていたかな?

とちょっと思う秋の夜長です。