絵画教室の展示が昨日から始まりました。
そして自分の当番日でもありました。。
一緒に当番に入っていた方が、
10年ほど前に身内の遺作展でお世話になった作家さんを共通の知己を得ていて、
当時の経緯を話していると、
なんとも不思議で複雑な伏線が、
何者かの手によって張られていたとしか思えない出来事だったと改めて思いました。
ちょっとややこしい話ではありますが・・・
私の母方の大叔父=母方の祖母の兄は洋画家でした。
その代表作は私の地元の洋館を描いた作品で、
その洋館の主と大叔父の父親=母方の曽祖父が昵懇の間柄だったことから、
作品のモチーフとして使用されたのでした。
一方、私の祖父の祖父はその洋館の主の父上の番頭であり、
山林王と称されたあるじとともに各地の山を歩き回りました。
私の両親が結婚した当時は、
両家がそういう縁の元にあることを知らなかったようです。
10年ほど前、
母方の親戚が洋画家だった大叔父の遺作展を隣の町の立派な展示会場で開催することになり、
その広報の一環で、一般に公開されるようになっていたその洋館へ、
展示の告知をお願いに伺いました。
そのときにその洋館施設の苑長さんが、
うちでもその遺作展をやりませんか、とおっしゃってくださり、
1ヶ月間の異例の会期で遺作展を開催することができました。
無理なお願いとわかりつつも、
市博物館に収蔵されているその洋館を描いた大叔父の大作(P200号)を借り受けることをお願いしたところ、快く承諾していただき、400人を超える方々に見ていただくことができました。
この洋館施設での展示は
「あなたが地元だから、あなたが中心になってやってよ」
という流れでした。
今は細かいことは忘れてしまいましたが、
とにかく当時は必死で、
事の大きさを感じる暇はありませんでしたが、
その洋館を通じての両家の間にいる自分が動く事の不思議さはうっすら感じていました。
展示を行うからにはより多くの方に来ていただきたい。
そういう思いから、草の根広報活動をなりふり構わずやりました。
そんななか、
「あなたにはこういう”素晴らしい”親戚がいるのね。」
という、言外の意味の方が100倍も物言うコメントもいただきましたね。
自分の大切な時間を、そんな生ぬるい感情からの行動に費やしたつもりはないのです。
作家として尊敬し、
作品を素晴らしいと思うからやっただけのこと。
いろんなことを思う人がいるものだ、怒りを感じるよりもかえって感心したものでした。
一連の大叔父の遺作展でお世話になったのが、
昨日のお当番仲間の方を絵画の世界に誘った作家さんなのです。
この作家さんは生前の大叔父と親しかったらしく、
大叔父を「先生」と呼んでくださいます。
そういう縁のなかで今日があって、というのはなんとも言えない不思議さがあります。
でも、
もう自分を生きるときなのではないか、
とも思いました。
通り抜けたからこそ、
「自分は他人の人生を生きている」と気づいてしまったのです。
度々、心理的、霊的セラピーの場で私の傾向として指摘されて来たことで、
知ってはいたけれども自覚はありませんでした。
昨日、
話す事で客観化されて、
その事実を意識にあげる事ができたのです。