つばき洞生活ノート

つばき洞生活ノート

BBSH(Barbara Brennan School of Healing)卒業生による日々の記録です

needs or demand

BBSHオックスフォード校のASは、

リーダーも含めてバッラバラなオリジンを持っています。

 

アメリカ合衆国

南アフリカ共和国

フランス

中国

ハンガリー

コロンビア

ベネズエラ

日本

 

ヨーロッパ校時代も含めてここまでばらけることは珍しいらしいようです。

 

各々が各々の文化のもつテンプレートを背負ってやってきているので、

人類共通の課題も見えてきやすいとも思っています。

 

今回は日本人特有の問題について。

 

リーダーは度々、日本でワークショップを開催したことがありますし、

BBSHの日本校にも何度も来ています。

 

リーダー曰く、

 

「日本人にはneedsがピンと来ない人が多い。」

 

はい、

私もよくわかっていません。

 

BBSHで(それ以外でもサイコセラピーの類でも)頻繁に聞かれるのが、

「needs(ニーズ)」

という単語です。

 

日本語に訳しても、元のニュアンスが伝わりにくいのか、

そのまま「ニーズ」として使われる単語です。

 

「あなたのニーズはなんですか?」

 

みたいにね。

 

「needs」と似ていて、

しかし、全く違うのが「demands」。

 

分からないなら訊いてみよー、、、

 

具体例)

・赤ちゃんが母乳を欲しがる→needs

 

・窓が開いていて寒いから自分の持っている何かを羽織ろう→needs

 

・自分は幸せになりたい→needs

 

・自分は十分に体が動いて食べ物を入手できるのに人に調達してもらおうとする→demands

 

・自分を幸せにしてほしい→demands

 

大人が自分で完結できる欲求を述べるときはneeds。

十分に大人なのに子どもの部分から誰かを親に見立てて自分のかわりに自分の欲しいものを調達してもらうよう述べる(実際に口に出すこともエネルギー的に表現することも含めて)→demands

 

健康的な大人の観点から、

「それは自力ではどうしようもないよね」ってところから出発しているものはneeds。

だから、

入院中に体が動かなくて、

でもお手洗いに行きたい!介助がほしい!

ってときはneeds。

 

「いや、あなたそれ自分でできるやん」ってのはdemands。

 

 

日本人はこのdemandsのハードルが低いかもな、と同級生と話していて感じました。

 

「ここまでぎりぎり自分でできるぞ」

「ここまでは我慢出来る」

みたな。

 

あと、

間違いなく「needs認定」を受ける衝動も、

それを主張するのに罪悪感を感じちゃうところもあるよね。

 

てなことを考えていたら遅くなってきたのでneedsを満たすべく、床に就きます。