人の話に耳を傾けるのはとても難しいことだと感じます。
真剣に、自分が苦しんでいることを訴えた時に、
「でも私は」
「じゃあ、私は」
「私はこうだった」
という反応に始まり、
あらら?
いつの間にか相手の話を聞くことになっていた、なーんて経験はありませんか?
これ、
精神感情肉体ぜんぶが極限にあるときにやられるときつい。
我慢に我慢を重ねてやっと出せた言葉が見事に,
「ファーーーーッ」
って叫びとともに、ゴルフ場外の高速道路のトンネル上空くらい遠くまでうち飛ばされているからね。
話し手の感情が激しく動いて、
怒ったり、
号泣したり、
その矛先がこちらに突然向くことがあっても、
まずは自分とのコンタクトをしっかりとって、
その状態から相手ともコンタクトを取る。
そしてその状態でただ、そばにいる。
healingって、こういうことやな〜、
と最近、思うようになりました。
何か不可思議なもの、
例えば前世とかガイドとかオーラフィールドの色とか動きとかが見えたり、
特別な技を使えるのが重要なのではない・・・まあ、見えるに越したことはないし、
技があるに越したことはないけれども。
ただ話を聞いているだけのようにしか見えなくても、
まず自分とのコンタクトを保ちつつ、
相手のとコンタクトをとって話を聞くことの尊さ。
同情する、という意味ではありません。
ただ、そこにいてコンタクトを保つ、
一緒に居る、
それだけなのです。
I hear you.
I'm with you.
スクールでしばしば耳にする言葉です。
あなたの話に耳を傾けているよ
一緒にいるよ
時には、言葉もありません。
ただ、そこにいてくれる。
ここにいること、
それを受け取ることができること、
その経験を通じて得られる、なんとも言えない安らぎを味わうと、
大げさではなく、
人間捨てたもんじゃない、と思います。
確かに、
身体は勿論のこと、
心の病みは一部分において食事の影響もあるでしょう。
正直、これは侮れない要素です。
でも、
人間は多次元的な存在です。
物質からのみ構成されている存在ではない。
精神、感情、
ざっくりそういった、
目に見えない部分が先にあって、
物質の具現たる肉体があるのです。
物質、非物質両方のレベルと偏りなく付き合っていきたいものです。