あっという間に犬子が逝ってしまってから1ヶ月。
病気が発覚してからは、
というよりも中高年の年代(7歳くらい)に入ったころからあまり写真を撮らなくなった。
亡くなった後に見るのが辛いだろうと予想したからなのだが、現実は意外と大丈夫。
むしろ見たい。
家に来たばかりの頃の写真をSDカードから引っ張り出してきてまでして眺めている。
犬子の生死のプロセスを目撃して理解したのは、
人間とそれ以外の動物は、たまたま少ーしだけ世界が交わっただけの間柄である
ということ。
犬は犬独自の世界でそこの法則に則ってで生き、そして死んでいく。
かつては人間がそうであったように、人間以外の動物はとても死に近いところにいる。
故に人間が見ざるを見、聞かざるを聞く、何よりも死なないために。
東日本大震災の折に犬子は、まだ人間が感じるほどの揺れが到達する前にサークルを壊して逃げようとするかのように体当たりを繰り返していた。
以前にも以後にもそのようなことをしたのはその時だけ。
一方で自分の死ぬべき時期も知っているように見えた・・・これも人間目線でしかないのだが。