筝と三絃の合奏(古典)をしていると、
「うー、いま合っていない気がするけど合ってるのか・・・合うてるわ!」
という瞬間にしょっちゅう出会います。
「今、合っていないようだけど、ちゃんとあそこで合うんだよね」
とわかりながら演奏していたり、
「今、相手はここでこうしたくて、2小節先ではこれくらいで収めたいんだな」
と推測してみたり。
これがハマるとじわっとうれしい。
一方、
笙を吹いている時にはあまりそういうことが感じられなくて、
「主旋律担当と言われる篳篥と時々主旋律な龍笛さんからは置いてけぼりっぽい・・・
ほんなら、主旋律の側に行ってみたらより良い笙が吹けるんちゃう?」
そんな感じで篳篥を吹き始めましたが、
なかなか両側の持ち味を統合することができないでいました・・・篳篥と龍笛で合奏している時は、筝、三絃の合奏の時と同じ感覚になるのに。
そんな燻り期間を過ごすこと5年?
先日、自分が篳篥パートの時に
「結局は笙が曲を作っている」
ということを肌身で感じて、
今度は自分が笙を持った時に篳篥さんともう一回、話し合って、その結果を試してみました。
何をしていたかって、
突き詰めると「基本の吹き方」に忠実に従うようにしたってことなんですが、
合奏の中で「基本の吹き方」をキープするのは自分にとってとても勇気のいることだったのです。
そうやって逃げ腰になっていたのは、
自分が曲を作る!
っていう責任を負うことへの恐怖から生じていたんだ。
自分の恐怖をとっ捕まえて同じ地平で対峙する。
そのことはとても怖いことで勇気がいる。
でも、
その「えいや!」
と飛び込んだ後にはじわっとうれしい瞬間がいっぱい待っているみたい。