茶席にあって、
お茶はうまく点てようとするものではなく、
弓道場にて、
的の中心を射ようとするものではない。
同じように、
ヒーリングは起こすものではない
起きるものなのではないか、と。
そういう意味では誰しもがヒーラーなのだと思います。
一杯の美味しいお茶を淹れることによって
一輪の花を生けることによって
ひとつの音を奏でることによって
あるいは、
美味しいご飯を作ることだったり
楽しいおしゃべりをすることでもヒーリングは起きます。
ただ、一緒にこの「今」を共有する
ケースを書き上げたあとにぼんやり思ったことです。