先々週の金曜日に、
一報が悲報に転じた直後にもらったメールをはじめとして、
いわゆる海外の先生方や同級生たちからお悔やみのメールが続々と届く。
もれなく、
一国の政を司り、世界と渡りあった人物が凶弾に倒れたことへの哀悼の念と、
その国民である私たちへの心遣いがそこには表現されている。
否が応にでも目に入ってくるテレビやらラジオ、SNSから垂れ流される何かとは対極にある、
成熟したじんわり感を覚えさせる何かを伝えてくれる繋がりに私は救われている。
そして、私にしては大層珍しくとても感情的になっていて、
同時に私はこのことから何を学ぶのだろう、とも思う。
「右か左か」「保守か革新か」
て発想は、分離の発想の産物でしかないし、
そこにこだわっている限りは前には進まない。