何回も書いたかも知れませんが、
「さわり」
ってのは、
「物事のほんの一部」
とか、
「最初の方」
って意味じゃないです。
三味線には色々と種類がありまして、
義太夫で用いられるそれは大きめな方。
私が普段使っているのは地歌三味線、あるいは九州と言われていて、
三味線業界では中棹=中くらいです。
柳川三味線や小唄三味線は細棹と言われる小さい三味線。
私が使っている三味線の第一絃が上駒を通って糸蔵に入るところは、
他の絃と違って金属製の部品がついていません。
かわりに、棹に直接削った糸道がついています・・・他の三味線もこういった構造の場合が多いようです。
一番太い第一絃がここを通って奏でる音は、
胴にかけられた駒の高さと、
柳川三味線の場合はさらに棹の鳩胸の微妙な高低差によって倍音を発します。
この第一絃が糸蔵に入る直前の糸道を「さわり」というからです、あるいは「さはり」とも表記します。
これが三味線の、あるいは日本音楽のききどころであり、
そのききどころを作り出す場所こそ「さわり」なのです。
「さわり」を、物事のほんの一部、ダイジェスト的な意味で用いられることが多くなったってことは三味線音楽の衰退を意味します。
言葉は変化するものですので、
特別言わなくてもいいこととは思いつつ、
三味線音楽が存在する限りはそれに従事する者として看過もできず控えめに訂正します。
職場の若い者にこのことを伝えますと、
「ここ1年で一番の驚きでした」
だと。