京都を離れて以降は長らく月イチに頻度が下がっていた師匠のお稽古。
最近ようやく余裕らしきものがでてきたので月2に回数を増やしてもらいました。
楽器に向かうには、
とくに新しい曲を習うには体力気力の余裕が要ります。
何もしていなければ平常運転、と思っても、
いざ演奏をはじめるとたちどころに微かな不調の影響が立ち現れるものです
・・・吹く楽器=篳篥や笙は如実に演奏に対して体調の影響がでます。
巨匠クラスになるとそれくらいのゆらぎはカバーできる技量と練習量があるので何ということもないそうですが。
本日のお稽古は「萩の露」の三絃と箏を代わりばんこで合奏して、
新たに一曲、習ってきました。
「萩の露」は2月の定期演奏会用。
三絃も箏も両方を幾山検校が手がけたなかなかの大曲なうえに、
我々が慣れ親しんだ「八重崎検校(京手事物のほとんどの手付けをしたと言っても過言ではない箏手付けと言ったらこの人!な巨匠)」感とは無縁ということもあって、
戸惑いつつも最後まで走り抜けるのを目標に弾き切ります。
演奏会本番では「間違えたからやり直し」とはいきませんので、
間違えても素早くリカバーする技が求められます・・・間違えないように仕上げなさいよって話ですけど。
このリカバリーのときに効いてくるのはもちろん、日々の自主練ですが、
他にも大切な要素があるように感じています。
京地歌のテンプレートに入って、そこで長年過ごしているからこそもたらされる「お知らせ」のようなものがこのリカバリーの折にもたらされます。
リカバリー時以外でも、
「この展開だから次はこうしたいんじゃないかな?」
と思うことはしょっちゅうで、
作曲者自身は100年以上前にこの世を去っているけれども、
そんな彼らと面と向かって対話しているようにすら感じます。
時空を越えたようにすら体感されるその瞬間はえもいわれぬ至福に満たされるのです。