*今回の記事は(も?)長い上にオチがないです。でも書かずにはいられず、幾度目か忘れた推敲ののちにひとまずの決着点としてあげることにしました*
「スピリチュアル」
BBSHを卒業する頃にはこの単語を自分なりに定義できるようになっているのかな?
と思っていましたが、
いやー・・・まだ、あきませんね。
あんたがそれを言うか?
って話ですが、
業界の人間だからこそ定義って難しいのですよ。
歴史学者に「日本の中世っていつからですか?」って尋ねた日にゃあ、
三日三晩は寝させてもらえないよ、大げさな話じゃなく。
このテーマだけで少なくとも大学のゼミの1年分のゼミをカバー出来る。
さてさて、「スピリチュアル」についてですが、
リーダーズ英和辞書によると、
spiritual= 精神(上)の、精神的な、心の;霊的な、形而上の;霊魂の;超自然的な、心霊術の;聖霊の、神に;神聖な、宗教上の、宗教的な;教会の、教法上の;霊妙な;崇高な
そもそも、日本でいうところの「スピリチュアル」は昨今、ネガティブな意味での用法も見受けられたり、
はたまた「エセスピリチュアル」という言葉があったりで、
英語圏でいうことろのそれとはまた味わいが違うようです。
これが私のこの3年間での体感。
どんなお仕事も物質上でのみ、精神上のみで為すことは不可能だと思います。
人間である以上はどちらかだけ、とは行かない。
日本で「スピリチュアル」
と言った場合、その中には、
・psychic=精神の、心的な、心霊の
いわゆる、超心理学(クレアボヤンス、プレモニッション、テレパシー、サイコキネシスなど)
・occult=秘学、神秘(的なこと)、超自然的なもの
・occultism=神秘学
・spiritualism=心霊主義;人は肉体だけではなく霊魂もその構成要素として持った存在とする考え
が含まれていて、、、ややこしくなっている感じがあります。
オカルト、となるとそこには魔術も含まれてきますし、
心霊主義となると信仰もその範疇になってくるようです。
オカルティズムは近代以降に産業革命と自然科学の隆盛に伴い、改めて思想史、宗教史、哲学史上に登場したとされています。
近代合理主義が発展すればそれの極を為す分野にも光が当たって当然という感じですね。
またそのオカルティズムにまるで真反対の立場に見える実証主義がからんでくるのはなんだか健康的で微笑ましいです。
そこに加えて、
日本ではスピリチュアル界隈で「心理学」の言葉も同時に見受けられることがあるので、ますます定義が難し・・・そして界隈で語られる「心理学」は私が大学で触れた心理学とはだいぶ違う印象があります。
たったひとつの用語の定義でも、
それだけで一大研究分野になるわけで、
どの辺に落としどころを見出すのかはこの「スピリチュアル」に関しても難しいことこの上なし、です。
例えば、
「見えないもの=オーラのようなものを扱う」
とか言われても、
それが見えている人にとってはそれは「見えているもの」ですし。
皆、同じものを見ているようで実際は全く違う世界を見ているわけですし。
明文化された法律のようなものがあると、ある面ではラクなんですね。
それに従っている限りは安全なのですから。
この感覚はこの夏に入った業界の影響かもしれません。
人間は物質の部分=肉体のみで存在するに非ず
そしてその物質以外の部分では当然ながら我々が定めるような法規は通用しないでしょう、なにせレベルが違ってくるのですから、どだい話は通じないと思った方がいい。
そこにえいや、と飛び込んでみるのも、やはり怖いからとやめておくのもOK。
さて、どうしますか。
風呂敷を広げたままで終わってしまいましたが、
そもそも「似非」と言った時点でその人の中には確たる「スピリチュアル」の定義があるのだろうな、と思った時に、
自分なりの日本における「スピリチュアル」を考えることは逆説的に、真に自分が大切にしたいことを考え直す機会になるのではないかな、と思ったので、
暫定意見としてここに記事をあげることにしました。