「自己責任」
嫌な言葉だと思っていたし今でも幾許かは思っている。
この言葉に反応しているのは自分の未成熟な部分であると同時に、
この言葉を防衛的に用いるエネルギーに辟易しているから。
その状況も取り込んだ上で、
その状況が永遠に続くのではなく、
他の選択肢も無限に準備されていて、
「では自分はどうありたいか」と自分に問いかけることができる時に、
本当の意味での自己責任の世界を垣間見ることができるのだろう。
あなたも選ぶことができるのと同じ量でわたしも選ぶことができる。
当たり前のことだけれどときどき見えなくなる。