こちらで取り上げた地歌の「善知鳥(うとう)」。
実は、終戦直後に伝承が絶える寸前だったのだと、
教えていただきました。
この「善知鳥」を伝承していたのは同じく京都の百々原(あるは百原)良雄師で、
京都上派の人間国宝・萩原正吟師が百々原師かその直弟子から、
戦中の音曲の禁止された状況下において口三味線にて習われたのだとか。
百々原師は大正3年にお亡くなりになっているので、
おそらく師のお弟子さんからの伝承と推測されます。
「関寺小町」にも同様の謂れがあり、
そうやって多くの名曲が渡されてきたのだと改めて思い知りました。
普段はお稽古を続けるのが精一杯で、
こうした先人たちの苦労を残すところまで全く気がまわっておらず、
改めて、自分の視野の狭さを反省した次第です。