社中勉強会のためにちょっと昔に習った曲をおさらいしています。
そのうちの一曲、「富士太鼓」は、お能に取材した「謡もの」で、
三絃は三下がり、箏は低平調子です・・・大方の曲は高基準なので低調絃は敬遠されがち。
三絃には替手があり、これが加わることで一層、華やかになります。
富士太鼓のお話は、と申しますと、
雅楽の太鼓の名手・富士ととその妻子、富士と同じく怜人の浅間が登場。
楽人の地位を求めて都に上ったのち浅間に殺された夫を思うあまり狂乱する妻に、
富士の霊が憑依。「太鼓こそが仇」と太鼓を叩き、舞ったのち恨みは晴れ、太鼓は夫の形見と太鼓を見つめて帰途に着く。
というもの・・・カオス。
怜人同士のどろどろエピソードは現実にしばしば発生していたし、それを世間は認識していたと思われる設定でもあります。
演奏って、結局は「できるかできないか」なのだけれども、
そこにプライド周辺のものがくっつくとややこしくなるわけで。
その様子を雅楽の超・有名曲「越天楽」「太平楽」「五常楽」「千秋楽」をおりまぜ描写する。
舞楽アイテム「鳥兜」は富士の形見であり妻を狂乱せしめるきっかけとして登場。
このようなお話なので抑揚の激しい曲調になります。
そして謡ものは登場人物が狂乱するほどに華やかになる傾向があり、これが魅力です。
本家の謡では富士太鼓以外の狂女ものにも何とも言えない魅力がありますね。
この手の演目によって、
人が誰しもが幾許かは持ちあわせる狂気願望は舞台上で安全に達成されるのでしょう。
個人的にはこの類の曲は、自分の芸歴上の節目で演奏させてもらったこともあって思い入れが深いです・・・「古道成寺」、「鉄輪」は本当に、好き。
・・・というお話をするとしばしば
「(要するにそういった)怨霊系の曲は同種の存在を引き寄せる」
とか、
(そのような曲の話題にさえ触れたく無い)
という反応を示される方があります。
わからなくも無い反応です。
なんせ人第4レベル(アストラル界)どろどろ祭り、
ロウアーセルフの大盤振る舞いなのですから。
しかし私はこの世界に惹かれ続けているのよね。
それらは私達人間のとても大切な要素だから。
それらを無いものとして光だけを求めるとき、大切な自分の一部を強く否定している。