つばき洞生活ノート

つばき洞生活ノート

BBSH(Barbara Brennan School of Healing)卒業生による日々の記録です

経験値とHSP

本日はBIPとのセッションでのお話を。

BIPセッションで話す内容は全く個人的な内容のものではありますが、

今日の話題で引っかかっている方は結構おられるのではないかと思うので書きます。

 

TT=AS3に進む選択肢が与えられたことは自分にとって今だに信じられないことです。

しかし、よくよく思い返せば、

「Year2に復学するなんて」

「Year3になるなんて」

「卒業するなんて」

どれもその時は信じられないことでした。

 

・・・なんで?

 

実際的な問題もさることながら、

「その特定の状態に自分はふさわしくない」と、考える癖も原因の一つのようです。

 

例えば今のわたしの場合は、

かつての同級生の何人かが勇気を持って話してくれた様々な虐待の過去とか、

「何か」特別なものを知覚できるとか、

宇宙人に掠取されたことがあるとか、

そのようなこともなく、

つまり経験が自分は進む先に見合う値に達していないのではないか、と。

 

私の場合、進む先はAS3です。

しかしこれは「BBSHへの入学」もあてはまると思います。

と、申しますのは、BBSHへの入学希望をお持ちの方からしばしばそのようなお話を伺ったからです。

 

「特になにも『見え』なくてもBBSHに行っても大丈夫か?」

 

とか、ね。

セッションの中でBIPのくれたコメントは、

「BBSHに行きたいと思っているけれども自分はそれに相応しいかどうか」と二の足を踏んでおられる方への言い換えができるコメントだと思います。

以下、太字がBIPのコメントです。

矢印は私なりの言い換え。

 

「教えることのトレーニングとトラウマは別問題。トラウマがあるから良い教師になるわけではない。重要なのは教えることへのロンギング=魂の憧憬とその明確さである。」

 

→「人と比べて自分はどうだこうだ」ではなく、「さてはて自分はそれをしたいのかどうか」です。

 

「HSP=High Sense Perceptionとは何か『見え』るだけではない。それぞれがそれぞれの感覚をもって感知している。」

 

→HSPは五感の延長です。

感覚器官が機能していればそこにHSPの可能性は既に「ある」ということです。

自分自身が箏曲三絃を習得しそれを教授した経験や家庭教師時代のことを思い返すと、人の物事を学ぶ方法は、その人自身がオリジナルで自分の感覚器官の働きを組み合わせたものであると感じます。

五感を使う、と言っても、どの器官をどの割合でどのように使うかは千差万別です。

ですから、「あなた」だけのHSPの使い方。発達のさせ方があるはずなのです。

私の音楽での経験を例として挙げるなら、

私は耳だけではなく皮膚で音を聞いていることに、箏曲三絃を習い始めた18歳のころに気づきました。

 

あとは、BBSHの学生や卒業生、先生に対する自分の持つある意味「勝手な」イメージも自分が一歩踏み出すことを阻んでいる場合も多いにアリですよ・・・まあそれに関しては入学してからやろうぜベイベー、です。

 

さてさて、

ディプロマの額装をしてもらいました。
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今回は既製額。

マットはベルベットに面金つけでお願いしております。

この面金つけは手作業なのですよ。

これは私が大好きな作業でした。

 

 

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