ひょんなことから定期参加している瞑想会ではいつも素晴らしい体験があるのですが、
先回はむしろびっくりな展開でした。
たまたまその回で参加したメンバーが過去生でも共に活動していた仲間で、
その時に思い残したことを浄化させたいと思い続けてようやく会することができた、とのこと。
誰が欠けていても、また誰かが多くてもだめだったというこだわりよう。
私は過去生のストーリーの部分にあまり関心がない、というか重要視していません(もちろん、魂の弱点はずっと持ち越してきていて、その弱点ゆえに今こうしているのだということはうっすら理解しています)。
しかし、
途中からはそうも言っていられない現象がどんどん提示されました。
リードしてくださる方には私が何をしているかをお伝えしたことなどないのに、
私のその過去の時点では、
人の体を癒すことに従事していて、
石を用いて不調を癒していた・・・今でいう鍼灸のような。
人を治療する一方で自分のことがおざなりになって、体を壊して亡くなった。
そういう質の過去がある、と教えてもらったときには流石に白旗を揚げた気分でした。
こんなことを言うのもナンですが、
私はことあるごとに、
「ヒーリングには向いていない」
と言われ続けてきました。
「できるけれども、自分が疲弊しちゃうよ」
という、親切な表現で教えてくださった方もあります。
みなさんのご意見を要約いたしますと、
結局、「自分の体を壊しますよ」ということらしいです。
でもね、私は人の言うことを聞かんのです。
私がやりたい、と思ったらやるんです。
「誰かがこう言ったからやめる」
なんて、面白くないことは他にないですよ。
「誰がわたしの人生の主人公なんですか?」って話です。
(これはバウンダリーの設定にも関わる宣言でもあります)
この質(バウンダリの脆弱さ)は持ち越し課題だったらしい、ということが腑に落ちました。
そして、それが明確に意識化されたことと、
リーダーの場の設定のおかげで、
その性質は浄化の方向にあるようです・・・今生での私の心の持ちようについての努力は不可欠という前提ですが、今後私が提供するヒーリングとそれを取り巻く状況は大きく変わるでしょう、とのことです。
その瞑想会の参加者さん各々の過去生要素は、
火を用いて祈祷をする人
天空の星々と交信する人
水を使った占術に長けた人
石を用いて身体を癒す人
こういった技能集団を取りまとめる人
(あとお一方は瞑想のリーダーご本人だったので詳細はわからず)
「石を使っていた」
と教えていただいたので、手持ちの石たちを水に浸して日光浴させました。
10歳くらいのときに初めて購入したアメシストのタンブルを皮切りに、
じょじょに集めていったコレクションたちです。
意識的な心理プロセスのワークの場にしても、
この瞑想会のような場にしても、
主催者やリーダーが、
参加者に対してどれだけ安全を提供できるかによって表出するものの質は大いに左右されると確信しました。
ほんの数回、あるいはさっき「はじめまして」のご挨拶を交わしただけの関係でも、
一瞬で深いところに到達できる場を提供できることの素晴らしさを思わずにはいられません。
そんな素晴らしい瞑想会の数日後の今日、
車での遠出のお供を求めてスタバに立ち寄りました。
注文したのは「カフェミスト」。
「カフェミスト」はドリップしたコーヒーにスチームしたミルクを注いだ商品です。
使用されるコーヒー豆が日替わりなのでいろいろな種類のコーヒーの味わいを楽しみたい私は好んで注文します。
「今日のコーヒーはインドネシアのスマトラ島のコーヒーです。」
と、レジのお姉さん。
びっくりしたと同時にとても嬉しく思いました。
なぜって、
先日の瞑想会のメンバーがかつての生で活動していたのがスマトラ島だったから。
タイトルの「寸聞多羅」は香道における香木の木所(きどころ)の表記で、
スマトラ島(方面)から輸入された香木を示します。
五味は「鹹」なので少し塩味があるというところでしょうか?
個人的には、シャープさと同時に華やかさも感じられる香りと記憶しています。