久しぶりに宗教の勧誘(の一環)を受けました。
私を取り巻く世界では、
宗教の勧誘と、「私のそっくりさん」出現度が異常に高いと確認するこのごろです。
そのお方(老爺)は尋ねます。
いわゆる「世界一売れている書籍」を読んだことがあるか、と。
「(読み込んではいないけれども)ありますよ」
との私の返答に幾許かの反応を示したその老爺は、
「今世界では戦争が起きている、とニュースで言っている。
その戦争がなくなる方法が○書には書かれています、それは××にこう書かれています。
◯書について書いた冊子をお配りしていますがいかがですか?」
とタブレット端末で参照箇所を示しつつ仰る。
いやいやいやいや、
せっかくこうやって直接にお話しできているのだから、
あなた自身が、あなたの大事な◯書のその箇所に触れた時のリアルを聞きたいよ。
それではこっちの中ではなーんにも動かん。
だって、あなたが今やっていることってあなた以外の誰でもできることだからさ。
とは思いつつ、
全く親切ではない私は、
「その冊子は私以外のご縁のある方にお届けください。」
とお伝えし、再び平和な午睡に戻ったのでした。
自分の外側で起きているように見える戦争は、
自分の内側にあるシャドウの要素として自分の気づいていない破壊性、残虐性を表現している。
つまり私たち一人一人の中の孤独な独裁者がいつも悲しい暴走に走っているのだ。
その身なり正しい老爺によると、
それを「便利に終わらせる方法」があって、神が兵車を焼く、
というくだりが◯書にはあるらしいのだが、
シャドウの理屈とその書の内容を同時に採用した場合、
間違いなく我々は神の劫火に焼かれてこの地上から滅却させられるね。